多摩ニュータウン居住30年家族記念写真     | まちづくりの将来

まちづくりの将来

私たちが生きている地域社会を見つめ、これからのあり方を考えるブログにしたい。

長男とその新妻と二男、そして私たち夫婦の5人が1つの写真におさまった。

パルテノン多摩ミュージアム特別展の展示会場である。

これまで30年居住の堀之内地区。

一帯の航空写斜め真をバックにした家族写真。

5月4日(土)17時過ぎのことである。

 

 

半月ほど前に長男から連絡が入った。

千葉県市川市に新居を購入する。

その案内を求めるものだった。

予定日は佐世保にいたので、新居予定現場に向かうことができなかった。

 

 

長男夫婦が5月4日にわが家を訪問しその説明をしてくれるという。

夜の食事会は決まっていたが、それ以外のスケジュールは未定だった。

ブログに書いているように、5月2日、3日は多摩センターに遊んだ。

 

 

この二日間で学んだこと。

多摩ニュータウン開発はほぼ終わり生活創造時代に入っている。

最初の入居者があったのは1971(昭和46)年3月という記録。

東京圏への急速な人口流入の受け皿として、国内最大規模んの住宅都市形成の始まりだった。

 

 

ニュータウン開発の終盤に、私の家族は深川の越中島から入居した。

当時、日経新聞の記者の森野美徳さんから都心回帰の時代の始まりに郊外流出だと冷やかされ、記事にもされた。

 

 

当時、7歳の長男と3歳の二男を育てる住環境を求める移動だった。

それまで住んでいた深川に問題があるということではなかった。

下町特有の近所付き合いはありがたいものだった。

オクサンには今でも交流がある。

二人の子どもをより安全に育てるために歩車道分離の人工都市に希望をもった。

この移動によって私の通勤時間は2倍になるが、安全都市環境に魅力を感じた。

 

 

あれから30年が経った。

二人の子どもは無事に育ってくれた。

多くはオクサンの力によるものだった。

長男は結婚し、これから市川市に家をもつ。

その報告を親として受ける。

 

 

それで前日に私の頭をよぎったのは、ミュージアム特別展を利用する。

たくさんの航空写真のうち、この30年を家族が生きた写真。

そこで家族写真を撮る。

新しい家族の長男の相方を入れての5人の写真である。

 

 

会場で特別展の説明人が長男のスマホで、5人家族を撮ってくれた。

この30年私たちの4人の家族を無事に生かしてくれたまちの航空写真を前にして。

そのお礼と新たに生まれる家族を守ってもらいたいこと。

これが私の思いだった。

 

 

手許には、次の標題の資料がある。

「パルテノン多摩収蔵写真集

 航空斜め写真を撮影して街の姿を未来に残そう!記念写真集

 変わりゆく多摩ニュータウン

 航空斜め写真2023」

この資料はA4判160頁の写真集である。

2024(令和6)年5月3日初版発行とある。