先週から下河辺淳さんのことを思い出している。
1980年~1995年の頃のことである。
つながりが深かったのは1993年だったか。
30年ほど前のことだから、私は40代の半ばの年齢。
いい時代だった。
丸の内の東京海上研究所でのインタビュー。
理事長の下河辺淳さん。
戦後以降20世紀末までの国土計画がテーマだった。
本間義人(故人)をリーダーに後に東大教授になる御厨貴さんと私、それに出版社の清達二さんが参加した。
下河辺さんとはNIRA在職時代と新聞に見る社会資本整備史研究で存じ上げていた。
それ以上に下河辺さんは戦後国土史において歴史的人物である。
昭和37年10月以降、5次にわたる全国総合開発計画の策定にかかわった。
下河辺さんは実践の人であって、国土計画の著作がなかった。
その実相を明らかにするインタビューのテーマだった。
成果が「戦後国土計画への証言」(日本経済評論社)。
1994年3月に出版。
20時間に及ぶインタビューは前年の夏には終わっていた。
全体の原稿をもって私はメキシコに飛んだ。
社会資本整備史研究の際に知り合った運輸省の池上さんがメキシコ大使館の一等書記官。
国土計画についての意見交換もメキシコ行の理由の一つだった。
池上さんは機内に私を迎えてくれた。
数日のメキシコ滞在中はホテルや食事、移動の全てを池上さんに頼った。
もちろん、貴重な意見もいただいた。
太平洋を渡る往復の機内で原稿に赤を入れていたことを思い出している。
著者として下河辺さんが目を通して、了解が出たのは93年12月。
本書のはしがきには下河辺さんの文章が入った。
その自署の前に「1993年12月16日 田中角栄氏の逝去の日に」とある。
下河辺さんの唯一の国土計画の著書となった。
それから23年が経って、2016年8月13日に永眠。
享年92年だった。
彼の死はいまでも惜しまれている。
この図書を思い出す機会になったのは、NHK福井放送局から質問が出版社に入り、
私にその質問対応の連絡があったことである。
4月11日(木)だった。
質問はそれほど複雑なものではなかった。
1960年代後半の自民党との関係や計画根拠法等であって、インタビューアーとしての印象も尋ねられた。
正直、30年前の著書に何も求めたいのかがわからない。
そんな気分のままである。
国土計画は現在、国土形成計画法による計画となった。
それよりも下河辺さんのような「国士」のような未来像をリードする人材が見当たらない。
そんなことを問いかけられているのではないか。