儒教と慎独と宗演     | まちづくりの将来

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私たちが生きている地域社会を見つめ、これからのあり方を考えるブログにしたい。

「慎独」という言葉の意味を知りたい。

国会図書館で中江藤樹の本を開いた。

高橋恭寛著「中江藤樹の教導思想」ペリカン社。

『第七章「慎独」の重視、あるいは「慎独」に挫ける「同志」たち』

34頁分をコピーして持ち帰った。

 

 

「慎独」は先月中旬から東京多摩の自宅にかけた掛軸。

その書は「宗演」とある。

慎独は儒学の大学と中庸に出ているのだという。

 

 

この半年、儒学をかじった。

18世紀に国内で広がった藩校や私塾。

近代教育以前の地域の学びを学びたいと思った。

 

 

対象地域は佐賀と平戸。

佐賀は弘道館であり、平戸は維新館。

このブログでも少し紹介したが、ぎょうせいが出している月刊誌「地方財務」去年の12月号と今年の3月号に書いた。

 

 

この2つの藩校の基盤は儒教・儒学だった。

東アジアの道を説く学びであって、四書五経の世界が構築されていた。

高校時代に漢文の授業で触れさせてもらったような気がする。

ほとんど読むことができない。

 

 

ところで掛軸のことだが、父の郷里は愛媛県の大洲。

そこは城下町で1617(元和2)年に米子藩主の加藤貞泰公が伊予大洲に国替えになり、中江藤樹はその祖父母とともに移住したとある。

27歳の時に大洲藩を脱藩し、京都を経由して郷里の近江で藤樹書院をつくり、

陽明学が発信した。

大洲市は今でも中江藤樹を大事にしており、そこで育った父からは「藤樹先生」のことを聞かされていた。

そんな背景から掛軸が私の手許にある。

 

 

宗演を調べてみた。

どうやら「釈宗演」のことらしい。

江戸末期に生まれ、明治以降に活躍した臨済宗の老師。

福井県の若狭で生まれて京都で修行、慶応義塾で英語を学んだという。

また、夏目漱石との交遊もあった。

禅をZenと表記して、アメリカに禅宗の教えを説いた。

仏教学者鈴木大拙の兄弟子にあたる人でもある。

 

 

宗演は伊予大洲に隣接している八幡浜でも修行をしている。

父の先祖は臨済宗の大禅寺に連なっていた。

父の叔父は宇和島の吉田海蔵寺の住職だった。

明治の半ばあたりで宗演に揮毫を求め、「慎独」の書をいただいたとしても不思議ではない。

 

 

 今は国会図書館でコピーしてきた「慎独」を読んでいる。

どうやら、「慎独」は君子の振舞いであって、俗人の私の理解を超えているようだ。