東京時間と佐世保時間の再構築     | まちづくりの将来

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私たちが生きている地域社会を見つめ、これからのあり方を考えるブログにしたい。

東京と佐世保という2地域居住の私。

その時間配分はいつもテーマになっている。

東京にいる時は佐世保での行動。

佐世保にいる時は東京での行動。

どのように実施するのか。

小さな判断をしている。

 

 

去年の5月以降からそのテーマを解き判断してきた。

母が亡くなった年としての動かせないことがあって、

それらを考える時間でもあった。

 

 

佐世保中心の生活から東京中心の生活に切り替える。

そんな一般的課題が念頭にあった。

 

 

ほぼ1ヵ月おきに2地域を選択した。

ある程度のプランをもったが、結果としてもそうなった。

 

 

佐世保時間を決める要素が2つ消える。

1つは主治医のNIU利休庵診療所の廃止。

長崎国際大学の現在の学長が辞める。

学長夫人もご一緒に熊本に帰るので診療所もなくなる。

私は佐世保時間の要素の1つがその受診だった。

 

 

もう1つは3か月に1回の長崎新聞コラム。

3年続けた。

次の年の依頼があったが、佐世保時間が少なくなった中で、断った。

おもしろい作業だったが、限界を感じていた。

2週間ほど前に編集局から、今後も続けることが前提とする確認のメールをもらった。

 

 

 

佐世保時間が少なくなる。

日刊祇をまとめて読むことは望ましいことではない。

ネット配信がされている新聞ではない。

やはり佐世保に住んでいることが条件だと思った。

それで断った。

このことは佐世保時間を減らす要素になってしまった。

 

 

そうそう。

母がいない佐世保は佐世保時間をもつ要素を減らすことになるのだ。

 

 

佐世保時間は私ひとりで生活する時間。

そんな時間の使い方はいいものではない。

ひとり生活は体力もいる。

 

 

2地域居住は決まった時間配分があるわけではないのではないか。

自分のおかれた位置や思い、役割等の変化の中で、再構築を行うものではないか。

 

 

周辺で起きていることだけではなく、生活行動の切り替えによって時間配分を変える。

私にとっての東京時間と佐世保時間の配分。

新たな答えを出す時がきている。