宗演書の「慎独」という掛軸。
東京多摩の自宅にかけた。
30年ぶりの思いがかなったといってよい。
父が存命の頃だった。
大洲の実家から祖父の形見分けがあった。
祖父常三郎のものが佐世保に送られた。
多くの軸や書。
3人兄妹の二男の父。
伯父から贈られていた。
その中の「慎独」という掛軸に書の力強さと魅力を感じていた。
それは40年以上も前のことだ。
これまで何度か父の家の床の間で見ていた。
心をつく勇壮な書だと思った。
東京多摩に引っ越して30年。
その小さな床の間にさげたいと思っていた。
母の一周忌が過ぎて、父の形見分けとしてその掛軸をいただいた。
横が75センチもの掛軸。
東京多摩の自宅に持ち帰った。
1月23日(火)。
それが結構大変なことだった。
寒い朝だった。
旅行かばんと掛軸をいれた大きな袋をもって、佐世保駅前バスステーションに向かった。
雪が舞っていた。
掛軸のことに気を配っての移動。
博多のバスステーションまでのバス。
福岡空港までの地下鉄、空港内での移動。
ANA機内。
羽田空港。
調布までのリムジンバス。
京王線の車内、そして自宅。
約7時間の移動だった。
人や物にあたりながらの移動だった。
それでも小さな私の部屋の床の間。
「慎独」はパワフルだった。
ここまで持ち運んで正解だったと感じている。
「慎独」は儒教の四書五経の「大学」に使われている言葉。
「君子独りを必ず慎むなり」と使われているという。
「他人が見ていなくても自分を絶えず律していなければならない」
そんな意味だと大洲市の文化で解説されている。
中江藤樹は江戸時代に大洲にも住んでいて、儒教を教えていた。
祖父がもっていた「慎独」の掛軸。
宗演という人の書。
禅宗臨済宗の教えだと思っていた。
最近、江戸期後半の藩校を調べるようになって、儒教を覗いている。
そんななかに陽明学の「慎独」を見つけていた。
己に戻って、学んだことを咀嚼する。
そんな精神を教えているのだ。
ここのところの楠本端山のこと。
儒教思想についてのアプローチ。
考え方を記した掛軸が私の部屋にあるのはうれしいことだ。