谷郷町公民館     | まちづくりの将来

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私たちが生きている地域社会を見つめ、これからのあり方を考えるブログにしたい。

3人の町内会長の写真があった。

冨野さん、荒木さん、喜多さん。

それ以外の町内会長の写真はない。

理由を尋ねたが、答えはなかった。

 

 

3人の町内会長を知ったには小学生時代。

冨野さんは国道沿い会社をされていたが、覚えているは姓だけで、下の名前の記憶がない。

荒木さんは大治(たいじ)さん、喜多さんは保(たもつ)さんだった。

荒木さんは荒木タイヤ、喜多さんは材木店を経営されていた。

どの写真もモノクロだが、若い。

現在の私は3人の年齢を越えているのかもしれない。

 

 

谷郷町公民館に私を迎えてくれたのは吉田武彦さんとその奥さん。

吉田さんは現在の谷郷町内会長である。

町内会長はそのまちの公民館長でもある。

 

 

1月9日のブログでその出会いを書いた。

12月27日の西日本新聞記事。

そこに書かれている電話にかけた。

 

 

65年前の谷郷町が目に浮かんだ。

九品寺(くおんじ)、鶴屋旅館、紅蘭女学院、田中さん、金山さん、教会、黒田さん、川崎さん、吉永さん、安部さん・・・。

谷郷町2区である。

すべては記憶の世界にある。

 

 

谷郷パン工場は生長の家の社(やしろ)になっている。

白い鳥居があるのだ

腹ペコ時代のかぐわしい製パンの匂いは今も忘れられない。

早朝に起きて、安い古いパンを買い、おかまでふかして食べたこと。

 

 

その先の生長の家の佐世保教化部。

崖を登ると「菊屋」の名前を刻む石。

大きな屋根の建物。

千と千尋の神隠しに登場した料亭に似ていた。

旅館だと教わったが、そうだったのか。

 

 

谷郷町は女性が男性をもてなす地域だった。

ある程度の年齢になって、それを知った。

水商売の大人が多かった。

見て見ぬふりをする子どもが私だった。

 

 

大声をあげれば、町内に届く。

二枚貝の1つの貝のような斜面地だった。

みんな大声で生活をするコミュニティだったのではないか。

 

 

谷郷町公民館で歌を聞いた。

歌詞もいいが、歌声が優しい。

真水(まみず)のような歌だった。

 

 

2年前に町内会長になられたという吉田さん。

初代老人会会長のお孫さん。

コミュニティビジネスの実現。

そんな期待を語った。