コンドル建築の紹介、4回目は綱町三井俱楽部の2年後の1915年・大正4年に竣工した島津侯爵袖ケ崎邸。

これも重厚華麗なルネサンス様式で、コンドル建築の晩年の佳作と言われています。

 

2015年12月のブログ

「貴重な現役、コンドル設計の館 島津侯爵邸: 東京・五反田」

 

この建物は現在も現役で、清泉女子大学の本館として使用されています。なので、年に数回の見学会と10月末の学園祭の時のみ一般公開されます。私は学園祭で見学しました。

 

堂々とした玄関口

 

優雅な曲線が美しいバルコニー

 

洋館の華のシックな階段とステンドグラス。

 

一階の大食堂(今は聖堂)。

 

玄関ドアには丸に十の島津家の紋章のステンドグラスが。

 

詳細は上のブログを是非ご覧ください。

 

「この邸の主の忠重公は名君・島津斉彬(子が無かったので弟の久光の子を養子とした)の孫に当たる。父・忠義の急逝によりわずか12歳で家督を継ぎ、この館を注文した時はまだ二十歳で、コンドルは54歳であった。その若さゆえかこの館には当時は一般的であった和室がない。また、忠重は「海の薩摩」らしく海軍で活躍され、後にイギリス留学もされたほどなので、必要としなかったのか。コンドルの直後の作である古河邸(北区)には和室が洋館の中に上手く組み込まれているのだが。」

 

この島津邸は1915年・大正4年竣工でコンドル63歳の作品で、円熟期のまさに西洋建築という建物となっている。

三井俱楽部より規模は小さいですが、外観・内部ともに素晴らしく、関東大震災や東京空襲で大きな被害を受けていないのは大変貴重です。

 

今は邸宅ではなく大学本館として使われていますが、原型を損なうような改造はされていないようです。学生・職員が集う建物として現役で使い続けているのは素晴らしいことですね。

 

ここもレトロ建築好きは一度は是非行ってみたいところですね。

 

次回は古川虎之助邸を紹介します。

 

 

コンドルの経歴(wikipediaより)

1852年  ロンドンのケニントン(22 Russel Grove, Brixton, Surrey)に生まれる[1]。同名の祖父 (Josiah Conderは聖書関連著述家、叔父のフランシス・ルービリラック (Francis Roubiliac Conder[2]は土木技師で鉄道建設請負で成功し、親戚には多数の聖職者、技術者、芸術家がいた。父は銀行員であった[3]

1865年  奨学金を得てベドフォード商業学校に3年間通ったが、建築家を志し、1869年から親戚のトーマス・ロジャー・スミス (Thomas Roger Smith(母の従兄弟でのちにロンドン大学教授になる建築家)宅に下宿しながら[4]、サウスケンシントン美術学校とロンドン大学で建築学を学ぶ。スミスは英領インドの公共建築の設計に関わったことがあった。

1876年  「カントリーハウスの設計」でソーン賞を受賞。工部省には御雇い建築家として工部大学校本館などを設計したボアンヴィルがいたが、彼が工部大学校の建築学教師職を望まなかったため、新たに教師をイギリスに求めた。どのようにしてコンドル任用になったのかは不明であるが、5年契約で建築学教授職に就任。(イギリスで実際に建物を設計し、建てた実績はない)

1877年明治10年) 来日、工部大学校(現・東京大学工学部)造家学(建築科)教授および工部省営繕局顧問。麻布今井町(現・六本木2-1)に居住。たったの25歳!

1884年(明治17年) 工部省との契約終了により工部大学校教授退官(辰野金吾が教授就任)。

1891年(明治24年) 施工設計を担当したニコライ堂が竣工。

1894年(明治27年) 丸の内に三菱一号館を設計・建築、翌年に2号館も竣工

1896年(明治29年) 設計を担当した岩崎久弥茅町本邸が竣工。現存するコンドル建築の中では最も古い。

1913年(大正2年) 三田に三井家迎賓館(現三井俱楽部)を設計・建築。

1915年(大正4年) 五反田の島津山に島津家当主忠重の邸宅を設計・建築。