2014年6月

コンドル建築の紹介、2回目は前回の岩崎邸の2年前、1894年・明治27年に建てられた、三菱一号館です。

1968年に老朽化で取り壊されましたが、2009年に残っていた部品を使ったレプリカが再建されました。

レプリカでもとても良く出来ていてレトロな雰囲気が良く出ています。

 

 

特に銀行営業室をつかった「Cafe 1894」は雰囲気がいいですね。

 

2014年8月

「不穏な空気? 「ヴァロットン展」 三菱一号館美術館」

 

コンドルは東京帝国大学の教授在任中の1882年(明治15年)に旧東京帝室博物館本館を(関東大震災で焼失)、1883年(明治16年)に鹿鳴館華族会館)を(1940年に取り壊し)に設計・建設しましたが、インドのサラセン風だったりして、当時の政府から気に入られず、たった7年で退官を余儀なくされました。

 

そんなコンドルを雇って重用したのが、当時は破竹の勢いであった岩崎家の三菱でした。丸の内は多くの大名の上屋敷がありましたが、岩崎が安く譲り受け、進んでこのような西洋風建築を次々と建て、一大ビジネス街に仕立て、この界隈は一丁倫敦と呼ばれました。その後に多くの土地を売って三菱財閥の基礎となる財をなしたのはご存知のとおりです。

 

三菱二号館の模型(跡地にある明治生命館一階に展示)

 

コンドルの経歴(wikipediaより)

1852年  ロンドンのケニントン(22 Russel Grove, Brixton, Surrey)に生まれる[1]。同名の祖父 (Josiah Conderは聖書関連著述家、叔父のフランシス・ルービリラック (Francis Roubiliac Conder[2]は土木技師で鉄道建設請負で成功し、親戚には多数の聖職者、技術者、芸術家がいた。父は銀行員であった[3]

1865年  奨学金を得てベドフォード商業学校に3年間通ったが、建築家を志し、1869年から親戚のトーマス・ロジャー・スミス (Thomas Roger Smith(母の従兄弟でのちにロンドン大学教授になる建築家)宅に下宿しながら[4]、サウスケンシントン美術学校とロンドン大学で建築学を学ぶ。スミスは英領インドの公共建築の設計に関わったことがあった。

1876年  「カントリーハウスの設計」でソーン賞を受賞。工部省には御雇い建築家として工部大学校本館などを設計したボアンヴィルがいたが、彼が工部大学校の建築学教師職を望まなかったため、新たに教師をイギリスに求めた。どのようにしてコンドル任用になったのかは不明であるが、5年契約で建築学教授職に就任。(イギリスで実際に建物を設計し、建てた実績はない)

1877年明治10年) 来日、工部大学校(現・東京大学工学部)造家学(建築科)教授および工部省営繕局顧問。麻布今井町(現・六本木2-1)に居住。たったの25歳!

1884年(明治17年) 工部省との契約終了により工部大学校教授退官(辰野金吾が教授就任)。

1891年(明治24年) 施工設計を担当したニコライ堂が竣工。

1894年(明治27年) 丸の内に三菱一号館を設計・建築、翌年に2号館も竣工。←←

1896年(明治29年) 設計を担当した岩崎久弥茅町本邸が竣工。現存するコンドル建築の中では最も古い。

 

次回は三井俱楽部・綱町を紹介します。