今日紹介するのは日本のワイン醸造家の草分けのひとり、神谷伝兵衛の千葉県稲毛にある別邸で、1918年・大正7年竣工。設計・施工者は残念ながら不明、国登録有形文化財。

神谷 伝兵衛1856年-1922年)は愛知県出身の実業家で、東京・浅草神谷バー(1880年・明治13年創業の「みかはや銘酒店」が前身)茨城県牛久市ワイン醸造所(1901年・明治34年醸造開始)のシャトーカミヤの創設者。

千葉ではもっとも古い鉄筋コンクリート造で、後年の関東大震災で多くの煉瓦造りの洋館が崩壊したが、この建物はほとんど無傷、伝兵衛の先見の明のおかげか。
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ロマネスク風の5つの連続アーチと白色磁器質タイルが昭和初年の建物ようなモダンな雰囲気をつくっている。
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稲毛海岸は1888年・明治21年に千葉県初の海水浴場が開かれ、海から松林が続き、小高い丘の上のこの辺りは絶好のリゾートだったそうです。ここに座って海を眺めていたら素敵でしょうね。
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一階は洋風で、公開されているのはこの応接室しかないが、落ち着いていて居心地が良さそうだ。
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洋館の華の階段は優美な曲線を見せている。
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上っていくとすばらしい和の空間へとつながる。みごとな和洋折衷だ。(パノラマ合成写真)
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12畳の主室。明るくひろびろとしていて気持ちが良い。天井は葡萄の栽培棚をイメージして段々になった凝ったもの。(パノラマ合成写真)
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格式のある書院造りで床柱は葡萄の大木である。
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葡萄の画と葡萄の透かし彫りの欄間で飾られた付け書院。組格子もなかなかな出来。
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一枚の板から削り出したというぜいたくな木瓜窓。
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廊下もなかなか。向こう側の半円の部分は外側からみるとRのついた出窓になっている。
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派手すぎず趣味の良いシャンデリア。洋風と和風の空間を上手くつなぐ演出をしている。
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天井の細部まで手抜きはない。
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設計者は不明というが、あちこちに葡萄の意匠をさりげなく入れるなど、かなり腕の立つ者だったと想像する。それになんと言っても注文主の伝兵衛さんの趣味の良さだろう。豪華すぎず、控えめに、お金を掛けるところは掛けるという、商売人・醸造家としての合理性を感じた。

神谷伝兵衛は実家が貧しかったので幼くして働きに出て、1873年・明治6年(17歳)に病気した際に葡萄酒によって体力を回復したとこで、その滋養を知った。その後、輸入の再生葡萄酒の「蜂印香竄(こうざん)葡萄酒」を販売し、高い評価を受け、明治の末についに牛久シャトーを開場した。言わば大変な苦労人で時代を読み、シャトーで働く人々までに気配りのできる人だったようだ。


浅草の神谷バーと聞いてすぐ思いだしたのがこの「電気ブラン」だ。なんと1893年・明治26年頃に発売された「ブランデー、ワイン、ジン、ベルモット、キュラソーなどをブレンドした「電気ブラン」が一世を風靡。文明開化の風潮の中でハイカラなものは「電気○○」と呼ばれた。」(大正時代には文化○○が大流行、今のe-なんとか、i-なんとかと同じだね)。

20年位前に恒例の高校同期の新年会で行って飲んだことがあった。アルコール度は40度できつくツンと薬草の香りが強くするが、なぜか後を引き、また飲みたくなる。調べてみるとまだ現役で製造・販売されているそうで驚いた。一定のファンがいるんだろうね。

その電気ブランとボケット瓶のパッケージ。古いものでなく現在のもののようだ。
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こんなところにこんな洋館がと驚くが行って損はない。見事な和洋折衷は明治・大正期の進取と柔軟性を表しているように思う。

こんどは牛久のシャトーに行こう。