人口戦略会議が2014年に続いてレポートを公開して、2050年までに744市町村を消滅可能性都市と名指ししました。その定義としては、若年女性人口が顕著に減って新しい命が生まれてこない状況に陥ることです。

 

これまで様々な少子化対策が講じられ、岸田首相も”異次元の少子化対策”を実行しようとしているのですが、成功すると見ている国民は皆無に近いのでは。

 

よく「お金がかかり過ぎるから子供を持てない」という意見が紹介されていますが、本音では「楽できなくなるから」とか「自分の時間を奪われたくない」といったジコチューな刹那主義によるものでしょう。

 

後先考えられないのが人間ですから、自由にさせればこうなることは必定なのです。

後々のために今頑張っておく、そういう倫理観が昔にはありました。

 

”子は宝”とか”老後の憂いをなくす”或いは”苦労は買ってでもしろ”などといった「戒め」がかつては機能していて、親から子に伝えられた時代は過ぎ去ってしまったのです。回りに年寄りのいない家庭には伝わるべくもないことです。

 

コロナ禍によって少子化傾向が強まっていて、このまま推移すれば2050年には東京都を除く全ての自治体で人口減少となって、日本の人口は1億人を割る可能性があります。

 

子孫を残すという行為はあらゆる生命が絶滅を回避する上で最も重要なものですが、今の(先進国の)人間はそれを放棄しようとしているのです。

 

つまり”人間は自ら進んで絶滅への道を歩んでいる”ということが意味するのは、この地球にとってそれが必要であるということではないか?

 

神様が人間を作った時、こういう事態を想定してDNAに”自滅ボタン”を仕込んでいたのではないのか。所謂フィードバック回路によって人間の数が減れば地球環境には好循環がもたらさる。

 

そうすることによって地球が最終的に破壊から救われることになるのです。

神の思し召しですね。