若い時は刹那的な遊びが楽しくて、欲しいものがたくさんありました。
この頃恋愛や結婚には興味がなくて、それでも世間的は結婚して初めて一人前と認められる風潮の中で、親の勧めもあって20代の終わりに結婚しました。
30代になると仕事が楽しくて、成果を出すことを夢見て回りの空気を気にすることもなく突き進みました。尖っていましたねこの頃。自分は他とは違うと。
しかしこの時大きな挫折を味わったのです。我が子の死でした。私は仕事にかまけてこの子にちゃんと向き合わなかったのです。亡くした時の喪失感は後悔以外の何物でもありませんでした。
恐らく私の人生観はこの時大きく変わりました。背伸びするよりも家族を大切にしなければと。
それでも40代から50代前半は仕事も家庭も順調でした。いくつかのリスキーな仕事も無事に成果を上げて、昇進を重ねましたから。
運があったと言うほかありません。
一方家庭でも家族の時間を大切にして、妻からは良いとこどりと言われましたが休日は子供たちと一緒に過ごして、好かれていたと思います。
50代半ばに突然理由もなく左遷されました。役員手前だったので、恐らくポストからはじかれたのでしょう。それまで仕事には拘っていましたが、人事や社内政治には無頓着だったので。
その後は出向先を渡り歩いたのですが、なぜかどこでも成果を上げることができたので、居心地は悪くなりませんでした。
そして63歳になった時、管理職を出向者が占めている現状に甘んじていることに耐えられなくなって会社を辞めたのです。
59歳の時長女が結婚して最初の孫を生みました。それまで全く実感がなかったのに、この孫を抱いた途端感じたのです。「あっ似ている」血を感じた瞬間でした。
この年父を亡くしていたこともあって、生まれ変わりだと思いました。
これをきっかけにして自分のルーツがとても気になりだしました。過去何百代或いは何千代もの間連綿と先祖の血がつながってきた証として自分があり、その血が孫に繋がっていくことに達成感を感じたのです。
そして自分が今までしてきたことが、どれもとてもちっぽけなことであり、この孫こそが最大の”生きてきた証”であると。結局子孫を残すことより立派な業績を残せる人なんてほとんどいないということ。
勲章を欲しがる人の気持ちは、実感できない自分の業績が目に見える形になるという欲望です。
でもこれは60代になった時に感じることであって、若い時には気づかないのです。
若い人にこれを理解してもらうには、どうすればいいのでしょうかね。