2003年に尾瀬至仏山に登って次は燧ケ岳だと思って20年が経ちました。この間喘息の発作に悩まされてとても山に行く気力が湧かなかったのですが、2年前より快方に向かってついに決心して登ることにしたのです。何だか宿題が残っている気がしていたので。

 

自宅を朝5時に出発して8時に御池駐車場に到着。新しく買ったスイフトスポーツでのドライブです。距離は180kmありますが信号がほとんどないので快適でした。

標高1506mの御池から入って2346mの俎嵓を目指し、累積標高差は約1000mです。

 

いきなり沢のようなところを直登です。斜度は30度くらい、岩がごろごろしている上に雪解け水も流れていて、3~4段に分かれて標高差で300mくらい続くでしょうか。時間にして1時間ほどで最初の湿原「広沢田代」に着きます。ここで100mほど下るのが大変残念で、山頂はまだ見えません。

 

広沢田代をトラバースして次の登りにかかりますが、ここも沢のようなところを何段にも分けて登っていき、「熊沢田代」まで上がります。登っている途中に5合目の標識があって、まだ半分かとちょっとガッカリしました。広沢田代からの標高差は300mほど、時間は計2時間ほどでしょうか。ここまでくると山頂の爼嵓が良く見えてますが、まだはるか遠くです。

 

熊沢田代を過ぎると最後の直登が始って、同じく沢筋を進みます。そして7合目付近から”雪渓”が現れて、計300m(標高差100m)ほど続きます。斜度は20度前後でしょうか。実は靴はただのスニーカーだったのです。以前はトレッキングシューズを持っていましたが、止めている間に捨ててしまっていたので。幸い前を歩く登山者が足跡を残してくれたので、其の跡をトレースしながら登りました。雪渓を抜けるのに30分くらいかかったと思います。

 

雪渓が終わってまだも最後の直登が残っていました。8合目から最後の力を振り絞って登り切ってやっと爼嵓に到達です。結局所要時間は3時間とちょっとでした。山頂は風が強くて立っているのが怖いくらいでしたが、尾瀬沼が眼下に見え、尾瀬ヶ原や至仏山も綺麗に見え、それなりの達成感を味わえましたが疲労感が勝っていたような。

 

 

そして足がガクガクの状態で今来た道を引き返せるのか心配だったのですが、結局持ってきたストックが役に立ちましたね。

下りの雪渓は何度か足を滑らせたのですが、滑落せずに何とか降り切って、沢筋もストックを突きながら大きな段差を乗り越えて、最後は道を間違えたのではと不安になるくらい下りが続いて、行けども行けども平地にたどり着かない。疑心暗鬼になりながら道は間違えてないと自分に言い聞かせて降りて行って、やっと裏燧林道との分岐点が見えた瞬間が一番感動した時でしたね。

下りは約3時間、合わせて6時間20分ほどの登山行でした。山で会った人は10人くらい。

平日とはいえトップシーズンでこんなものでしょうか?

 

今回はさすがに疲れるだろうと思って、麓の桧枝岐村に宿をとっていたので、「こまどり」という民宿まで行って、すぐに温泉に入らせてもらいました。小さな宿ながら立派な温泉があってその一番湯を独り占めさせてもらい、日本人に生まれて良かったと思う瞬間です。

まあ多少楽になって、まだ時間は早かったのですが、帳場で缶ビールを買って部屋で飲み干しました。脱水状態だったのか両足がつって、アクエリアスを飲むと直りました。

 

久しぶりの民宿に泊まったのですが、アットホームな感じでいいですね。夕食朝食とも手作り感があって美味しかったです。もう1組の香川県から来ていた宿泊客は明日燧ケ岳に登るそうで、情報交換に話が弾んで何でもすでに100名山の90座に登っている高齢猛者らしい。

 

そして2年前に来た時にコロナ自粛で静まり返っていた村がちゃんと復活して活気があったことに安心したというか、何しろ予約がとれないくらいだったので。どうやって行き過ごしたのでしょうね。宿の亭主に聞けばよかった。


たまたま宿にポスターが貼ってあったので、その景色を見ようと思って桧枝岐村の中土合展望台の300段の階段を上ってみました。

これが桧枝岐村の全景です。人口約500人の村ですがやはり生命力を感じました。人が生きるということ、村が存続しつづけるということ、その意志があれば”コロナ禍”なんて大きな妨げにはならないのでしょうね。