第5期「ヌォーヴォ・メタル・クリムゾン」

対象アルバム「スラック」「コンストラクション・オブ・ライト」「パワー・トゥー・ビリーヴ」

個人的にいえば、この‘ヌォーヴォ・メタル期’と呼ばれる最近年のクリムゾンは、第3期の黄金期と肩を並べるくらい好きである。
始まりは、ごく単純なフリップの発想。
第4期のアンサンブル主体による色彩豊かな新しい現代音楽に音域と層としての厚みを付け加えるとどうなるのか?
この期のスタートを告げるアルバム「スラック」において、
ギター×2、ベース/スティック×2、ドラム×2という、
実にわかりやすい構図をフリップは用意した。
しかしこれは徒労に終わる。
第4期のクリムゾンに新たに加わったのは、
フリップの音楽教室の弟子で、レヴィン以来、初めてレヴィン並みにスティックを演奏するテクをもつトレイ・ガン。
「スラック」では、基本、リズムキープに徹している役割を演ずるものの、
めざましい手ワザの発達とそもそものバスドラのキックの強さで
ブラッフォードの存在感を上回るほどに短期間に成長するパット・マステロット。
まぁ、最初のアルバム「スラック」においては、この腕自慢の6人が集まったところで、
誰かが‘自重’、‘お休み’しなきゃ、うるさすぎるのである。
うん、わかりやすい。

この期のクリムゾンのサウンドは、真っ正面から「ロックミュージック」なのである。
ココが好きだ!
よく定年を迎えた人が、蕎麦を打ち始めたり、おばさんがカラオケに情熱を持ち出したりするでしょ。
あれです。
破壊衝動とか、新しい音楽とか、もうどうでも良くなったオトナたちが、
どうしても自分たちから切り離せない知的なヨロイを纏うクセと、ようやく気楽に向き合うことができるようになったのである。
技術的に秀でたもの、自分も苦しめられるほどのスコアをあえて書き、一生懸命に練習してできるようになり、
それを録音する。おそらくレコーディングでは、スタジオに入ったメンバーを他のメンバーが、「どこで間違えるかな?最後までちゃんと弾けるかな?」と和気あいあいと鑑賞しているに違いない。

もともと、おそろしくテクニックがあるメンツによる高尚なレクリエーションである。
極めて高度に洗練された、良い意味で前衛性を中和した完璧なパッケージングを目指すユニットである。
ROCKはもはや、命をかけたフラストレーションの表出とは別の意味の、存在意義を手に入れたのである。
断っておかなきゃいけないのは、歴代のクリムゾンのサウンドのなかにあって、この期のものは突出してヘヴィー、むしろ‘ヘヴィネス’とでも言うべきうるささである。

ウタものの楽曲では、「ダイナソー」「ピープル」(以上「スラック」)「プロザック・ブルース」(以上「コンストラクション~」)「アイズ・ワイド・オープン」(以上「パワー~」)等の名曲があるが、
この期の特徴はインスト曲の充実である。
「太陽と戦慄パート4」「フラクチャード」「デンジャラス・カーブ」「レベル・ファイブ」など
これまでのクリムゾンのインスト曲と比べて、はるかにスマートで知的である。
人生の最晩年の愉しみのラインナップのひとつに、‘大音響でROCKを演る’という選択肢が加わった爽快な事件である。

アルバムにおける演奏という観点では、クリムゾンは最高のレベルに達している。
簡単にできる曲など1曲もない。
リズムが複雑、シンコペーションが変、変拍子ばっかし、アンサンブルが完璧・・・。
どの楽曲もひとすじ縄ではいかない。比較的、レクリエーション色まるだしのウタものに関しても、
「あ、こうすると、かなり変になるよね、エヘへ...」みたいなノリである。

クラシックのスコアによる規律を持ち込むことに始まり、
ブルースのノリとの明確な決別、
ジャズのインプロへ見いだした突破口の追求、
それらのアプローチから、ロックミュージックの新しい境地を切り拓いてきたクリムゾンにとって、
「もう、新しいROCKとかどうでも良いし...。それにウマいとかスゴイとかもどうでも良いし...。
ただ音がでかくないとやっぱし俺たちダメだし、感情任せにテキトーに演るってのもアレなんだよね~」
という感覚である。たぶん、フリップにとってはこれまでで最も楽しかったクリムゾンなはずである。
本人たちの愉しみ方とは裏腹に、これは少なくとも私個人にとって、ROCKをずっと演り続けるとてつもなく大きな意義を提示してくれた。

■「スラック」
‘ダブル・トリオ’‘ダブル・デュオ’などとその形態から形容された、
ヘヴィというよりヘヴィネスというべき第5期クリムゾンのスタート。
第4期で極めたアンサンブルを根底に、すべてのパートを和音化するとどうなるのか...という
実に奇想天外な発想で創られたアルバムである。
まぁ、想像した通り、どちらかと言うと自由闊達な、めちゃくちゃな演奏に終始した楽曲の方が面白い。
一方で、このアルバムには、「ダイナソー」「ピープル」「ワン・タイム」といったブリューのソロアルバムを含めても、デキの良いウタもの楽曲が並んでいる。
意外と、このユニットにおいては、誰かが抑制を強いられる楽曲の方が、圧倒的にクオリティが高い。

■「コンストラクション・オブ・ライト」
クリムゾンのインスト楽曲の代名詞とも言うべき「太陽と戦慄」のパート4が収められたアルバム。
ベース/スティックのトレイ・ガン、ドラムのパット・マステロットがそれぞれパートで自分だけとなったことが良い方向に向かった。
表題曲「コンストラクション~」と「フラクチャード」
(これは、第3期クリムゾン「暗黒の世界」収録の名インスト曲Fructureの続編的楽曲)
「太陽と旋律パート4」など、必聴である。
この時期のクリムゾンは、よくインプロヴィゼーションに不満が言われるが、
この期のライヴアルバムの「ヘヴィー・コンストラクション」に収録されているインプロ3曲は、
すべてのクリムゾン期において、ベストのものと思う。
変拍子にもかかわらず、これだけアタマのビートを強く出せるワザ。
ジャズ的な、各楽器による自由なシンコペーションの交換に留まらない、全体的なサウンドによる抑揚。
これらは明らかにロックミュージックだけにしか表現できないインプロヴィゼーションである。

■「パワー・トゥ・ビリーヴ」
現代的な音づくりのマエストロの一人、MACHINEがエンジニアリングを担当したアルバム。
実は勉強不足でこの人のことはよく知らない。残念ながら、ラップ系が多いようなのでそれほど興味もないが。
このアルバムはこの人のおかげで随分と音の今っぽいものになって、私は大好きです。
ウタものの「アイズ・ワイド・オープン」、インストの「レベル・ファイブ」「エレクトリック」「デンジャラス・カーヴ」は必聴である。
例えば、グランジ系とかヘヴィ・メタル系とか、野放図な大音響をウリにするバンドは多いが、
このアルバムに代表されるこの期のクリムゾンは、その誰よりもヘヴィーだ。
この時期の演奏に比べると、あの黄金期の第3期のクリムゾンですら、
「猫のようにおとなしく聴こえる...」
若いパワーなんぞ、この還暦まわりの人たちのパワーには、足元にも及ばない。
頑張らんといかんですよ、若い人は。少なくとも、少なくとも、パワーでは。強調したったわ。

これで、いちおうクリムゾンは終わりです。

キング・クリムゾンそのものであるロバート・フリップは、
常に音楽を構造的に構築する一種の頑固なクセが伺える。
そもそも無秩序であるべき衝動的な破壊欲求に基づくサウンドを論理的にコントロールしようとする性癖。
このどこまでも青臭い英国人気質というか、知的に見られたい願望が構築した音符構造と
対局に位置する音構造は、
私は、VanDerGraafGeneratorだと思う。
ルート音を基盤に、倍音の3つくらいの重ね。
スケールで言えば、ペンタトニック、オンリーみたいな、とりあえず力任せの音構造でありながら、
どこか規律を印象づけるサウンド。
秩序を志向しない秩序...。
音そのものの力だけを信じようとするこの姿勢に、
不思議とフリップの流麗なギタースケールはマッチする。
たとえば、メル・コリンズのサックスやジョン・ウエットンのベースなど
クリムゾンの歴史のなかで凄いインプロヴィゼーションプレイを展開した記録はあるが、
残念ながら、一時期のマイルス・デイヴィス・バンドでのジョン・スコフィールドのプレイなどを聴くと
‘おとなしいブルースフレーズ’の域を出ることはない。
なるほど、ジャズの側から聴けば、それは「鍛錬と知的センスの足らないダメな演奏」なだけなのかもしれない。
フリップが、本能的に回避したい地点は、こういうところなのではないかと思う。
それは、彼が意識しているかどうかではなく、彼自身が‘カッコ悪い’と感じてしまうのだと思う。
あらためて、クリムゾンのすべての期のアルバムを聴き通してみて、強くそんな印象が残った。