第2期「ブルース・クリムゾン」

対象アルバム「アイランズ」「アースバウンド」

‘最初の傷が一番深い’という言葉がある。
1971年『アイランズ』1972年『アースバウンド』。この時期のクリムゾンを聴くたびに、
この言葉を思い出す。この時期のクリムゾン、いやロバート・フリップにとって、
おそらくこの辺りの時期は、初めて味わう出口の見えない悪夢だったのではないだろうか。
4枚めのアルバム「アイランズ」を最後に、ファーストアルバムからここまで、
キングクリムゾンの音楽に、なんだかもうひとつ奥へと繋がる扉があるかのような気にさせる
幻想的な詩の世界を担っていたピート・シンフィールドが脱退した。
音楽的な指向性と相まってクリムゾンにコンセプチャルな要素を付加していた‘武器’をひとつ失った。
これはとても大きなことだったのだろう。
なにせ、あとはとりあえず演奏そのものか音空間でしか、まともなコンセプトは表現できないのだから。
そのためにフリップがとった策は、管楽器の大フューチャーと女性ソプラノ歌手の採用を味付けとしたフリーキーな演りまくり作戦。
歌メロのちょっとオリエンタルな感じも、ヴォーカリストの土臭い香りに彩られる・・・なんともミスマッチの5重がさねのような雰囲気。

この時期のメンバーは、ベース/ヴォーカルのボズ・バレル(後のバッド・カンパニーのベーシスト)に
サックスとフルートのメル・コリンズ、ドラムのイアン・ウォレス(ちなみにヴォーカル志望だったらしい)というメンツが主軸。
アイランズやアースバウンドがかなり特殊なキング・クリムゾンである所以は、
この2枚のアルバムの、特に激しめの楽曲のリズムのシンコペーションが、‘ド’ブルースな点につきる。
そこに若い目立ちたがり気質丸出しのメル・コリンズがサックスを吹き捲くるという図式。
簡単に言えば、リズム&ブルースのうねりにジャズのインプロヴィゼーションが展開されるという感じ。
‘常に唯一無二のサウンドを追求する’クリムゾンの歴史の中で、最もクリムゾンらしくないクリムゾンである。

例えば、アイランズというアルバムの表題曲。ものすごく美しい旋律を持つ名曲である。
だが、なんのインフォメーションもせずに、ファーストアルバムやその後のクリムゾンしか聴いたことがない人に聴かせれば、
おそらくコレが、クリムゾンの曲だとは気がつかないだろう。
聴けば聴くほど、切ない哀愁のようなものに包まれていくこの名曲にあっては、
ついにロバート・フリップはギターすら弾いていないことが象徴的である。

クリムゾン初のライヴアルバム「アースバウンド」は、その音質の悪さで有名であるが、
異常なほどのハイテンションのインプロヴィゼーションを記録しているものとしては、
むしろその音の悪さで救われている。素直に、その荒削りなままの迫力に圧倒されてしまう。
だがやはり、ロバート・フリップはブルースはちょっと入っていけない類いのカテゴリーのようだ。

この時期のクリムゾンを解説するのはとても困難である。
この奇妙な違和感。インプロ・オン・R&Bという単純で感情に任せたジャズっぽいアプローチ。
好きか嫌いかで言えば、大っ嫌いなサウンドだが、けっこう聴いてしまう。
う~ん、やっぱりこの頃のクリムゾンはいらないかもしれない・・・。

■4thアルバム「アイランズ」
もう1曲目~2曲目のブルースフレイバーとサックス中心のフリーな演奏にまず驚く。
3回くらい聴くと食傷気味になる。
むしろこのアルバムの特筆すべき点は、表題曲を筆頭に、静かで叙情性あふれる佳曲の
それまでのクリムゾンでは考えられない新しい発想と音階で構成されたところである。
ただし、ロバート・フリップのギタープレイという点で言えば、期待しない方がいい。
美しい表題曲にあっては、フリップはギターすら弾いていないし…。
私は自分が、実はギターバンドのサウンドがやっぱり好きなんだ、と気付かされたアルバムと言っても過言ではない。
それにしても、表題曲は美しい。

■5thアルバム「アースバウンド」
名曲「21世紀の精神異常者」がブツリ!と終わる。高校生のときに、唯一のクリムゾン大好き仲間が
その‘事件’にひどく魅せられていた。
だが、たいしたことはないです。
2曲目のフリーインプロヴィゼーションは、ジャズっぽさもR&Bぽさも、いかにも中途半端で
メル・コリンズのファン以外は多分退屈です。
3曲目のTheSailer'sTaleはフリップのギターがスゴイ。多分このアルバムの中で一番まともな曲。
でもフェイドインから始まるというお粗末なカットです。
なんだか酷評していますが、ちょっと飛躍したアイデアを出したいときなんかには
けっこう聴いてるんです。
いいのか悪いのか・・・。

次回は遂に、キングクリムゾンがもっとも恐ろしいバンドだった時期第3期です。