こんにちは!
今回は10月2日(土)に行われたリーダー養成山行についてお伝えします。
【山行名】リーダー養成山行
【山域】軽井沢(碓氷峠)
【期間】2021年10月2日(土)
JR東京駅に6時集合。北陸新幹線とJR信越線とを乗り継いでJR横川駅へ。
ここから旧中山道を経由し碓氷峠を越え、熊野神社、碓氷峠見晴台を経てJR軽井沢駅を目指します!
横川駅から「アプトの道」を進んで旧中山道入口に向かいます。
横川駅を出発してすぐ、群馬県の指定重要文化財である碓氷の関所跡に差し掛かります。せっかくなので関所の門をくぐってきました。
碓氷の関所は江戸幕府によって設置され、関東地方の出入口として当時の重要な交通路であった中山道の往来を厳しく監視していました。箱根の関所と並んで関東地方を守る幕府の重要な拠点であったとされています。
アプトの道に戻って引き続き旧中山道入口を目指します。
横川駅から旧中山道入口までは4キロ程のロードが続きます。
アプトの道は、旧信越本線横川~軽井沢間の廃線跡を利用した遊歩道であり、当時横川~軽井沢間で運行されていた“アプト式鉄道”から名付けられました。
明治時代に入り、古くから重要な交通路であった中山道と平行するように鉄道を建設することは当然の流れでした。
しかし碓氷峠は日本でも代表的な「片峠」であり、スタート地点である横川駅の標高は390メートル程なのに対し、直線距離にして約9キロ程度しか離れていないゴール地点である軽井沢駅の標高は940メートル近くもあります。碓氷峠は中山道に立ちはだかる壁のようなもので、約9キロの距離にして標高差約550メートルという急勾配を登ることは通常の鉄道では不可能であったため、そこで2本のレールの中央に歯型のレールを敷設し、列車の床下に設置された歯車とをかみ合わせることで急勾配を登り下りする“アプト式鉄道”を採用することで、1893年に碓氷峠を鉄道によって克服することができたのでした。
高速化の流れと共にアプト式鉄道は廃止され、横川~軽井沢間の鉄道輸送は1997年から北陸新幹線がその役割を担っています。
このレンガ造りの建造物は、アプト式鉄道時代に使用されていた「丸山変電所」跡。こちらは国の重要文化財に指定されています。このような産業遺産を横目にどんどん進んでいきます。
横川駅を出発して1時間程で旧中山道入口に到着。アプトの道と別れて旧中山道経由で碓氷峠を越え、熊野神社を目指します!
この日の前日に接近した台風16号の影響で、所々ぬかるみが見られました。。。
旧中山道入口出発から約1時間40分で栗が原分岐に到着。ここから一旦中山道を別れてめがね橋へ目指すピストンコースになります。
しかし、めがね橋を目前にしてアクシデント発生。
前日の台風の影響で碓氷川が増水していました。横断用のはしごも流されているようでした。。。
ここを越えなければめがね橋には辿り着けません。
辺りをしばらく調査しましたが、横断は不可能と判断。小休止の後、栗が原へ引き返すこととなりました。幸いピストンコース上だったため、山行全体に大きな影響はありませんでした。
栗が原までの道中にめがね橋を少しだけ見ることはできました。
気を取り直して再び中山道へと戻り、熊野神社を目指します。
横川駅を出発して約6時間半。
碓氷峠山頂の熊野神社に到着です。
熊野神社にて群馬県境を越え、長野県に入りました。標高は1200メートルに達しています。見晴台からは素晴らしい眺望が望めました。
ここからさらに中山道を進むと、長野市内に至るころには標高は360メートル程までに下がることになります。まさに碓氷峠は中山道に立ちはだかる“壁”でした。。。
記念撮影後、熊野神社から40分程ロードを進み、軽井沢駅に到着。アクシデントがありながらも、無事に全行程を完遂することができました。軽井沢駅からは北陸新幹線で東京駅まで戻り、解散となりました。
余談を少しだけ。
帰りに乗車した北陸新幹線は碓氷峠をわずか7分程で下っていきます。碓氷峠を登る場合、新幹線は碓氷峠トンネルという長いトンネルを通って碓氷峠を少し迂回し、勾配を緩くすることで碓氷峠を越えていきます。しかし勾配を緩くしたとはいえ、大変な急勾配であることには変わりなく、また碓氷峠をトンネルで貫いたことで地盤が膨れ上がり、トンネルが変形して対策工事に追われるなど、今も碓氷峠は難所であり続けています。
また北陸新幹線と平行する上信越自動車道は、横川ICを出ると碓氷峠を避けるように大きく南に進路を取り、軽井沢から大きく離れた場所に碓氷軽井沢ICを設置しています。勾配緩和のための苦肉の策だったものと思われます。
完全に余談ですね。。。
今回初めて自分達だけで山行計画を練り、リーダーを務めながらの山行は大きな責任が伴うもので、とても緊張しました。めがね橋目前にして発生したアクシデントは、改めてリーダーとしての責任の大きさ、山行運営の難しさ、事前調査の重要性などを痛感させられました。
今後下級生を連れて山行に挑む際、さらにたくさんの責任が伴ってきます。そのことを肝に銘じながら、今後さらに良いリーダーとなれるよう成長していきたいと思いました。
2年広報 太田尚希