死ななかったのか死ねなかったのか両方だと思う。
“死=恐怖”というのもあった。
私の場合は、他殺もしくは事故死を望んでいた。
そもそも私は中学生くらいの時に自殺について調べたことがある。どんな風に死んだら苦しくなく綺麗に死ねるのかを。そこで得た知識は、自殺した場合の死体は汚いということである。
すごく我儘な話だが、死にたいけど死体は綺麗なままがよかったし、あまり体に傷も付けたくなかった。
私は、赤ちゃんの頃ひどいアトピーで体中を搔きむしり、今でも無数に体中に跡が残っている。アトピー自体はかなり良くなった。でも、これ以上自分を傷つけて、傷を見るたびに辛くなりたくはなかった。
リストカットをしなかったのもアトピー跡のおかげだと思う。
自分で切らなくても傷から血は出るし、何もしなくても怪我がいつもあった。かさぶたをむしり取るのも自傷行為の1つだと知ったのは、最近になってからだった。
あと一つ死ねなかった理由がある。
部屋が汚かったからだ。今思うと部屋を汚すことで理性を保っていたのかもしれない。
もし、今死んだらと考える時に部屋が汚いままでは死ねないなと思った。
それは、家族に見られたくないものなど部屋に散乱していて、それを処分しなければならないと思っていたからだ。
逆を言えば、部屋を片付けてしまったら私は死ぬと思っていた。
死んでも思い残すことがなくなってしまうからだ。
死にたいと思いながらもどこかで理性が働き、死ねない理由を作っていたのだと思う。
他殺や事故死がよかったのは、自分の理性は関係ないからだ。さらに言えば、愛する人に殺されたかった。愛する人に殺されるのは幸せだと思っていた。
でも、自分を殺しそうな人を好きになることはないし、人を殺したいなんて思う人も全然いないから夢物語だ。
色々理由を付けては死ねないで苦しむ日々は続いたが、死ななくて良かったと思う。
人の感情はすぐに変わるし、変えれるからだ。