人生に迷い何をしていいかわからないから脳みそを整理しよう -36ページ目

人生に迷い何をしていいかわからないから脳みそを整理しよう

幼い頃は死が怖くてしょうがなかった。
生きることに悩むうちに不思議好きも手伝って自然と精神世界に目覚める。
「スピリチュアル」が流行る前。
今の課題は「自分を愛すること」
自分を愛さなければ…この「〇〇しなければ」をクリーニング


「愛されたい」

今までどうして素直にこう思うことができなかったんだろう。

例えば、友達を許せない自分、そんな小さな自分を受け入れきれないでいる自分、考えすぎてもしょうがないと冷めたふりする自分、とっくに気にしてなかったよと大人ぶる自分。
いろんな自分がいて、どれが本当の自分か分かりませんでした。
でも、なんていうか、生きていかなければいけないから、、、やっぱり人から見て見た目が良く見える自分を演じてしまっていた。本当の自分でいたら、生きるのがもっと難しくなると思ってた。
でも、うまくやってもうまい流れになるわけじゃない。
私だって好きでそうしてるわけじゃないのに、無理してるのに、なんでこうなっちゃうんだろ。。。
好きでやってるわけじゃないのに否定されたりすると頭にくるし落ち込むし。。。

どんどんどんどん演じていって、よかれと思ってやってても、自分のこと見えなくなるだけで、でもそのことに全然気づかなかった。
「ありのまま」の自分に全然自信がないから演じてばかりで、演じることが出来る自分がすごいとさえ思って、本音を出さない自分がカッコいいみたいになっちゃってて、間違えてることに全く気づかなかった。しかも、スピリチュアルな本とかもたくさん読むから知識ばっかりついちゃって耳年増になっちゃって、頑張って報われなくても人から悪く言われても私は私のこと愛してるから大丈夫♪みたいになっちゃってて……。

だからうまくいかないんだよね。
これで客観的にうまくいっちゃうと、間違ったまま突き進んでさらに自分殺しをエスカレートさせちゃうもんね。

自分のこと大事にしようって決めてから、深くに埋まって見えなくなった自分を掘って掘って探して探して、泥だらけで息絶え絶えの冷え切った自分が見つかりました。泥だらけのボロボロになった手で一生懸命抱きしめたとき、

「わたし、愛されたい」

っていう言葉が自然と浮かびました。
そのとき、何かが変わった気がしました。
細胞が目覚めたというか。ビリビリっとして、何度も何度も言いました。

「愛されたい」
「愛されたい」
「愛されたい」
「愛されたい」
「愛されたい」

愛されたいなんておこがましいって心のどこかで思ってました。
自分で自分のこと分かってれば大丈夫!って思ってました。

そしたら自然と、涙が溢れてきました。

あー、私、愛されたいんだなー
なんか情けないな、気付いてなかっただけで、意地張りまくってたんだなあ
物分かりいいふりしてさあ
もちろん、意地くらい張らないとやっていけないような時もあったけど
でも、でもとりあえず、、、愛されたい
それは自分にも、そして周りにも愛されたい
そうか、愛されたいって思っていいんだ
他人から愛されたいって思っていいんだ
世の中には自分を嫌いな人もいる
それは分かってる
世の中には自分を嫌いな人がいる
でも、それがすべてではない
愛されたい、でもたまに、自分のことを嫌いな人もいる、その程度
究極はその人も自分に愛を教えてくれるから愛の存在(そこまではまだ無理だけど)

わたし、愛されたい!!!


そう思ってから、自分で自分を愛することがスムーズになりました。



私は妙に、自分の前世が気になってしょうがない。昔から。
幼い頃からスピリチュアルは好きで、そこにはオカルト寄りのミーハー心的な部分もある。

過去にリーディングを受けたことはあるのだけど、それはミーハー心的な意味で受けたので、使命をどうのとかそんな話ではなかった。
ヒーラーの方にも「そうですね…今は、トラウマを癒したいとか、そういうのではないみたいですね」と、言われました。
トラウマを癒したいからリーディングを受けに行く日が、いつか訪れるのだろうか。

そんな私がワイス博士の前世リーディングを試したのは数年前。

CDを聞いて瞑想するやつです。当時あんまりお金がなかったので、リーディング受けるより安いなと思い試してみました。

正直大きな収穫はありませんでした。
と、思っていました。


唯一見えたイメージ…
それは…


見た目が男性の天使が

「私の名前はジョイ。愛することを学ぶため、この地球に生まれてきました。」

と、言ったのです。



その頃けっこう天使にハマっていたのと、当時好きだった人になんとなく似てたので「妄想かな?」と思いました。

霊能力が強いわけでもないので、「なにか視える訳がない」って心のどこかでは思っていました。

でも、「これからすごく好きになる人に出逢って、愛し合っていくのかな〜♡」とか、「両親仲悪いし、家族愛とかそんな感じかな〜」とか、ぼんやりと考えていました。


あの天使が私の前世の姿なのかとかは今もよく分かりません。
ただ、数年経った今、気付いたことがあります。


私が学ぶ「愛する」の対象っておそらく
【自分】なんです!(´⊙ω⊙`)


自分を愛するということを、私はこの人生で学ぶんです。学びたいんです。学ばなけれならないんです。?

だって分からないんです。
私は長く接客業をしてきました。
人を喜ばせたりもてなしたりする方法はたくさん知ってるんです。それが自分の喜びであるとさえ思ってきました。
だけど知らないんです。
自分にどんなことをしたら喜ぶのか。
私は本当に幸せで笑っているのか。

幼い頃から人の顔色をうかがって生きてきて、自己犠牲の精神も強かった。
我慢したり感情を抑えたり出来るのが大人だと思って得意げになったりしてた。

気付いたら信じるものなんて側に何もなかった。
タチが悪いのは、特に人を傷つけたり世間的に悪いことしてるわけじゃないので、自分で気づくことが出来なかったというところ。

誰かの為に何かをするのが得意だった。
喜んでくれたら純粋に嬉しかった。

人の為に、と書いて 偽 。

その言葉にはけっこう早い頃に出会っていたけれど、本当の意味を理解していなかった。

この他にも、たくさんの本を読んでたくさんの言葉を知っていたけど、
硬く閉ざした私の心には、本当の意味は届いていなかった。

どんなに美味しい果実でも、皮が硬すぎると中の果実には届かない…という、心を硬くするなよ的な文章に出会ったときも、「なるほどなあ」とまるで他人事だった。

いろんなビジネス書を読んで価値観を広く持つ重要性を学んでいた私は、自分自身は柔軟なつもりでいました。

もうびっくり。(´⊙ω⊙`)

こんなに自分のこと追い詰めて、自分のこと好きじゃなくてコンプレックスだらけで、本当に人を愛することなんて出来るわけがない笑

自分を愛すること、愛する方法を知らないということ、もちろん突然気付いたわけではありません。

ずーっといろんなことがあって、いーっつも悩んでて、そして今も悩んでる。
あることは解決して、一難去ってまた一難、進んだり道を間違えたり、立ち止まって動けなくなったり、同じところを行ったり来たり。
本の言葉に助けられたり友人に救われたりしながら、私は自愛ということに気付き、気付いたところですぐに出来る訳でもなく笑、引き続き悩んでおりました。
悩みながらランチに行くためにてくてく歩いていたある時、
あの天使の言葉をふと思い出したのです。


「愛することを学ぶため、この地球に生まれてきました。」


私、私のこと愛してる?
私、私のこと知ってる?
何をしたいのか知ってる?
何をしたら喜ぶのか知ってる?
どんな人が好きなのか知ってる?
良い事しようとして追い詰めてるの知ってる?
リラックス出来てないの、気付いてる?


常識や、こうあるべきという概念に押し流されて見失った自分を、私はこれから一生かけて愛します。

ブログでも書いてきた通り、ホ・オポノポノにはたくさん助けてもらいました。

曖昧な部分も多いので、時系列はぐちゃぐちゃだしつじつまが合わないことも出てくるかもしれません笑。
が、ここからは私が天使の言葉に気付くまでのお話を徒然なるままに少しずつ書いていこうと思います。
私の両親は離婚しました。
ずっと仲が悪かった。
2人に仲良しでいてほしいと思ったことは一度もない。
幼い頃から、お互いが苦しそうなのは見えていて、
私の中には同情しかなかったのかもしれない。

父親の嫌味が辛かった。
とりあえず、笑い話にするようになった。

母親のヒステリーが恐怖だった。
とりあえず、心臓に毛が生えたフリをするようになった。

周りがどうのじゃない。
私自身が平和でいたかった。
いちいち傷ついて、怯えて苦しくて、惨めな自分でいたくない。
惨めな自分をみたくない。
惨めだなって気付くなんて、とっても惨めだ。
いちいち傷ついて、バカみたい。
慣れてるのに、人格の否定くらい。
どうしてただの出来事として流せないんだろう。

本当は周りがどうの、だ。
相手が喜んでくれたら嬉しい。
相手が悲しんでたら、苦しい。
人に振り回される自分の中の純粋さがコンプレックス。
人に振り回されて感じる自分の惨めさが恥ずかしい。
自分で自分の今までも今も、これからも否定してしまう。

楽しくなるように考え方を変えて、
苦しくないように見方を変えて、
つつかれないように平均をとって、
平和でいられるように笑って、
平和なように見えるよう
一生懸命笑顔をつくって、

気付いたら、自分のことがなんにもわからない。
本当は何が好きで、
どんなことで笑顔になるのか。
どんな服をきて、
どんなふうに過ごしたいのか。
何をして生きていきたいのか。

願いと言えば、「とりあえず玉の輿」くらいしか思いつかなくなってた。

お母さんが、心配したり怒り出したりしない道しか辿れない。

説得する勇気もない小さな自分。
悲観しかできないつまらない自分。


私の中の私が、一生懸命私に訴えていることにやっと本当に気がついた。