人生に迷い何をしていいかわからないから脳みそを整理しよう -35ページ目

人生に迷い何をしていいかわからないから脳みそを整理しよう

幼い頃は死が怖くてしょうがなかった。
生きることに悩むうちに不思議好きも手伝って自然と精神世界に目覚める。
「スピリチュアル」が流行る前。
今の課題は「自分を愛すること」
自分を愛さなければ…この「〇〇しなければ」をクリーニング


私は神社に行くのが好きです。
住まいの氏神様、というわけではないかもしれないけど、愛宕神社へよく行きます。

ここ2、3ヶ月くらい、すっごい精神的に疲れてドロドロしていました。
職場の人間関係、親子関係、将来のこと…。
考え方も攻撃的になっていたし、正直、とても「感謝の心」だけを持って神社に行ける状態ではありませんでした。

でも、神社へは感謝をしに行くべき。

この「べき」でいつものごとくさらに自分を追い詰めていました。

ありがとうという心を持つべき。
それを伝えに行くべき。
そうしないと感謝を忘れてしまう。

あるときとあるブログで、神様にありったけの願い事をぶつけてきて、そうしたらそれが叶ったという感じの内容の話を読みました。
そうか、それは一理あるな…
そう思い、私も早速神様にそうお伝えしました。

本当はこんなに困ってる。あの人にこう思われているのはもう嫌だ。もう関わりたくない!このまま終わりたくない!感謝の気持ちがあるのは本当なんだけど、でも、現実はこんなに辛いと感じているのも正直な気持ちです。こんな醜いところをお見せして本当に申し訳ありません。だけど、これが本当の私です。

そうしたら、少しずつ、だけど確実に、現実が変わってきたんです。

それで先週、お酒を持ってお礼に行きました。
感謝の気持ちを述べてきました。

「何かあったから感謝する。それは違う」
という思い込みが私にはあって、だから何かを求めることはいけないような気がしていました。

だけど、私のお話しを聞いてくださったんだと思うとそれそのものもとても嬉しくて感動しました。

そして昨日、また少しずつ変化している現実について感謝を伝え、そして、あんなにドロドロだった私を受け入れてくださってありがとうございます、とお伝えしました。

本殿とは別のお社に、恋愛成就・子宝祈願の神様として木花咲耶姫様が祀られています。
私は個人的に木花咲耶姫様の神話が好きです。
なので木花咲耶姫様にお参りするときは、憧れというかお話ししたいな〜みたいな気持ちを持ってお参りしているのですが、この日、お言葉を頂いたような気がしたのです。


「清らかに美しくいきなさい。
疲れたときは、心に桜の花を映しなさい。
そうすれば、やさしい心持ちになるから」

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そう聞こえた(流れてきた?)気がしました。
疲れて、考え方が攻撃的になりカスカスになった自分に嫌気がさしていたこともあったので、この言葉の持つ意味というか木花咲耶姫様のお気持ち?を思うと本当に嬉しかったです。

そして、心に桜の花を思い浮かべると、穏やかに笑える自分がいました。

私の中の許しの根底には恐れがありました。
許すこと、許しを乞うこと。

過去に私が傷つけた人たちに許しを乞う。
過去に私を傷つけた人たちを許す。


それは何故か?


「今」を変えたいから。


それは何故なのか?


「今」を否定しているから。

この「否定」の中には、今うまくいっていないという思いや未来に対する不安、現在の自分がダメだと思っている自己否定を含まれます。

自分を傷つけた人を許すことは苦しかった。
やはり、どちらか一方だけが悪いということはないと思っていても相手が悪いのにと感じることはたくさんあり、傷ついた自分は可哀想なのに、私が相手を許した瞬間からその相手は何にも苦しいことがなくなるのかと思うとなかなか許せなかった。私はこんなに苦しいのに。
許すことのできない己の小ささが、傷つけられて感じていた惨めさにさらに追い討ちをかけた。
ただでさえ自分が惨めだと感じていることを認めるのは辛いのに。
そして無理やり許したフリをしていた。

そして過去に自分が傷つけたであろう人たちを思うと、いたたまれなかった。
こんな思いを、自分もさせていたのかもしれない。
でも、自分に非があるから相手を許すのはまた違う。
とてもじゃないけど現実では言えないので、心の中で相手に許しを乞うてきました。

許すにしても許しを乞うにしても、私はいつも自分を責めて追い詰めていた。

怖かった。
自分が誰かを傷つけて、過去のことだと割り切ることも、いつまでも人を許せないでいることも。
それは何故なのか?

「悪いことしてる」って思ってたからです。
私は、「正解じゃないこと」「間違えてること」「不道徳なこと」をするのが怖かった。
全部、「悪いこと」だから。
私は、「悪いこと」するのがすごく怖かった。
だから私の中では「許し」という行為の根底に恐れがあったのです。

常に「善い」「悪い」を判断してた。
善いも悪いもない、すべてはフラットなのだととっくの昔に知っていたはずなのに。
私は常に判断していた。

いつしか私は、許すことに疲れてしまっていた。
許しを乞うことに億劫になっていて、そしてこんな自分は許されるべきではないのだとまた責めた。


そんな時に、「自分を許す」という言葉に出会いました。

心のどこかで自分を優先したりすることが「悪いこと」のように感じていた私には衝撃でした。

許すべき対象は外側ではなく、内側にありました。

辛くて苦しくて、相手を許すことなんてできない。
そんな自分を許してあげる。
悲しくて怖くて、相手を傷つけた罪悪感に押しつぶされそう。
そんなことをしてしまった自分を許してあげる。

大丈夫。許せないときもある。譲れないものもある。生きていく中で、相手を傷つけて悲しませてしまうこともある。
そんな自分を、許します。

そうしたら、許すことのできなくて小さいと感じていた自分を受け入れられた。
認めたくないけど、本当は惨めでしょうがない自分を、そんなことないよ、って受け入れることができた。

そして、とっても軽くなった。

自分を許すこと、それは、
自分を愛する第一歩になりました。

善い悪いで自分を判断することが少なくなりました。
自分の中に浮かんでくる、「悪い」考え方を受け入れることができるようになりました。
無理に趣味を持とうとしたり、特技がないかと貪ることがなくなり、自分の中を見つめるようになりました。
人の行動を善悪で判断しないことで、自分が「嫌だな」と感じることさえ受け入れようとして疲弊してしまう傾向にあった私ですが、人の行動を善悪で判断しないと同時に、自分の中に「嫌だな」と感じることがあればそれを優先できるようになりました。


自分を愛する時間が増えました。

難しいけど、とっても大事なことでした。
難しいけど、簡単なことでもあります。
ただただ、自分を許します。

それは必要以上に人を傷つけたりしても何でも許して良いとか、もちろんそんなこもではなく。
ただただ自分を許すと、自分を受け入れることが出来て自分を愛することができる。

自分を愛してる人は必要以上に人に不愉快な思いをさせることはない。この「不愉快」も相手の感じ方によるので、難しい話ではありますが。

自分を愛して生きることはとても幸せなことです。
諦めないでほしい。
どうか過去の私に届きますように。

私はずっと対人関係が苦手でした。人間関係も良くなかったし。
今も決して得意ではない。
良くないから苦手になったのか。苦手意識があるから良くなくなるのか。

今から書くことは、
あくまで私の場合は、です。

私はお人好しです。困ってる人を見ると力になりたい、と思う。
普段嫌がらせをされたりしても、その人が困っていると放っておけない。。。
私は器用な方です。割となんでもできるから人からものを頼まれる。
頼まれると余裕がなくてもやってしまう。余裕のない中でやってもある程度出来てしまう。器用だから。
お人好しで器用貧乏。
エネルギーの使い方を間違えています。

そんな頼んだり頼まれたりするだけの人間関係は、当然用がなくなればすぐにどこかへいってしまう。
支え合うだけの関係は、支えて欲しい事柄がなくなったら必要なくなってしまう。もちろんそれが全て悪という訳ではないし、そこから先へ進むこともあると思う。
でも私の周りには、辛いときには寄って来て、自分が満たされると離れて行く人がけっこういた。

そして器用貧乏というのは、特に仕事上は出来ても褒められることはなくなるけど、失敗するとやたらと影で批判される。
ひとりで平気、そういう思いも手伝って、けっこう孤立した。



「人間なんて嫌い。勝手に期待して、勝手にがっかりする。そんなの付き合ってられない。別に評価されなくて良いし。」



私は自分を愛せていなくて、そして私の目に映る世界には愛がなかった。
それは今なら分かる。

「勝手に期待して、勝手にがっかりする。」

私が、私にしていたこと。

これをやったら変わるかも、これをしたら良くなるかも、気分が変わるかも、良い女に見えるかも。
自分の本音をすべて置き去りにしていろんなことを試して、そして一喜一憂して最後はがっかりしてた。

お人好しで器用貧乏だから損してたわけじゃない。
自分のこと後回しにしまくったからお人好しで居られただけ。
自分の持ってるものを大事にしないから、自分を大切にしてくれない現実を投影して器用貧乏を演じてただけ。
自分の今に何も感じずに、一生懸命外側に答えを探して、「こうしたら変われる!」って今を否定して変わることばっかり考えて、そして効果を得られずにがっかり。
体に対してもそう。
勝手に無理しまくって大切にせずに、良くなることを期待してサプリやらマッサージやら漁ってそして効果を得られずにがっかり。
「良くなる」は、要するに「今が良くない」と勝手に思ってるから求めてしまう。
「今、良くないから」なんて人に言われたら、私だったら「余計なお世話!」って苛立ってしまう。。。

がっかり。。。
されるのがすっごい嫌だったのに、自分自信に散々してしまっていました。。。


本当は何を求めてるのか、ちゃんと聞かないといけない。
こんな風だったら理想的だから、こうしよう。とかではなく。

私をお人好しに仕立てあげたのは私。
ただ、いじわるする人や困ってる役の他人がいないと成立はしない。
それを含めて、私の中にある。


ヒューレン博士の言葉を思い出しました。

「この宇宙のすべての存在は『愛している』の言葉が聞きたいだけなんだ。『愛している、だって…』じゃない。ただ、その存在を祝福されたいだけなんだよ。あなたと同じように」
                  ー アロハ! 132Pより ー



美人だから好き。
仕事ができるから素晴らしい。
掃除洗濯をこなしてるから偉い。
だから、自分が好き。

そうじゃない。
ありのままの、このままの自分を好き、愛してる。
それは怠慢とかそういうことではない。

何かが出来て、他人に褒められたから私に価値が生まれる訳じゃない。
何かが出来なくて、他人に否定されても私の価値は変わらない。
存在そのものに価値がある。
何があっても大丈夫。愛してる。
惨めなんかじゃない。可哀想なんかじゃない。失敗なんかじゃない。笑えない時ぐらいある。変わらなくちゃいけないことなんてない。世間的に惨めに見えても可哀想に思われても失敗したと罵られても笑えなくても変わりたくて焦っても、大丈夫。

愛してる。