人生に迷い何をしていいかわからないから脳みそを整理しよう -34ページ目

人生に迷い何をしていいかわからないから脳みそを整理しよう

幼い頃は死が怖くてしょうがなかった。
生きることに悩むうちに不思議好きも手伝って自然と精神世界に目覚める。
「スピリチュアル」が流行る前。
今の課題は「自分を愛すること」
自分を愛さなければ…この「〇〇しなければ」をクリーニング



備忘録です。

今日は、午前中に愛宕神社に行ってきました。

最近心がざわざわしてて、自分自身と繋がれていないような感じがしてました。

私が行っている愛宕神社の参道は、少し長い階段です。
しかし、別に車用の参道があり、こちらから来ると階段がショートカット?されます。

階段を登りたくないわけではないのだけれど、いつも車で行くので、車用の参道から入っていました。
今日も神社の駐車場に車を停めて、お詣りに行きました。

拝殿で日頃の感謝を述べた後に、なんとなく自分と繋がれていないように感じてることを伝えました。

お稲荷さんにもご挨拶し、そして境内の奥へ進み、なんとなーく、本殿の屋根が眺められる場所に行き、そこで佇んでいました。

その時いろいろ思いついたはずだけど、何故かもう何にも覚えていません。
カラスが飛んできて本殿の屋根にとまりました。
愛宕山には烏天狗がいらっしゃるので、眷属神の八咫烏かなあなんて期待したのは覚えています。

その後山の上から眺めていたら「自 殺するならここにしよう」と、思ったのです。いや、人に見られなければ多分死体も見つかりにくいけど、草木が生い茂ってるから下手すると死ねないかも」「人を殺  したらここから捨てよう」「重くて持ち上がらないかな。赤ちゃんなら捨てられるかな」次から次へと思いつきました。昔なら「ダメダメ!こんなこと考えちゃダメだ!」って思って蓋をしていましたが、徒然なるままに思いを巡らせました。
「私っていっつも死ぬこと考えてるな」
昔は、辛いから死ぬこと考えちゃうと思っていたのですが、なんだか、違うような気がしたのです。
誰かに頭にきたときはすぐに「コロス」って思うし、辛いと死にたいって思うし誰かに刺されたらどうしようとか襲われる恐怖みたいなものが常にあることに気付いたのです。
そして何故かなんとなく自分が前世で相当な悪党だったんじゃないか(薄々思ってはいた)、と思ったのです。
私の中に常にある罪悪感、罪の意識は、前世からくるものなんじゃないだろうか?(全てではないにせよ)
産まれてくることが怖かったんじゃないだろうか?
「こんな自分が生きていいのか」
この思いは常にある。
私は昔から、生き死にを意識している。
私は自分に、「大丈夫、大丈夫だよ。」と、悪いことをしたかもしれない自分を受け入れるよう意識しました。

そして、最後に木花佐久夜毘売にお詣りして、帰ろうと思いました。

でもなんとなく、子宮委員長はるちゃんの言っていた「参道は産道、本殿は子宮」という言葉を思い出したのです。
「お詣りにきて、参道を通って帰ると、わたしたちはもう一度産まれるんだなあ」
と思い、今日はそれを意識しながら帰ろう、そう思いました。
そして無性におみくじが引きたくなり、帰る前に引きました。
このおみくじにはとんぼ玉が付いていて、とってもかわゆいのです。
おみくじ売り場の方へ行くと、看板が掛けてあり、今日は結婚式があることが分かりました。
縁起がいいなあと思いました。
袋を開けて、まずはとんぼ玉を取り出しました。
そうしたら、ピンク色のまあるいとんぼ玉で、なんか恋愛運が上がりそうですごく嬉しくなりました( ^∀^)♡
しかし、何故かおみくじを開く気になれず、後で読むことにして帰路につきました。

産道を意識しながら歩くと、何故か心地よくて、不思議と心が洗われるような気持ちになりました。
いつも通り駐車場に向かったものの、後ろ髪がひかれるような気がして…それで、長い階段を降りることにしたのです。

長いと言ってもそれほどではないのですが。

一歩一歩踏みしめるように歩きました。
「産道」であることを意識しながら進みました。
先ほどの罪悪感にも蓋をせず味わいながら歩きました。

緑の茂る参道の階段を下り、最後の鳥居の前にきました。
そこで立ち止まり、自分の中から出てくる思いに意識を向けました。



大丈夫。大丈夫よ。
すべて受け入れてくれるから。



女性らしい優しい声でそう聞こえました。

子どもは、お母さんを選んで産まれてくると言います。お母さんを助けるために産まれてくる子どもも居ると聞きます。
ああ、私はお母さんを選んで産まれてきたんだ。
すべて受け入れてくれるんだ。私の罪もすべて。
何故かものっすごく腑に落ちたのです。

そして、歩き出しました。
鳥居の目の前は広い車道になっていて車通りも多い道路です。
鳥居をくぐった瞬間に車の走る音が耳に入りました。
参道を抜けた瞬間に音を感じ、「産まれてくる」疑似体験のように思いました。


私は、お母さんは頭が固くて私の意見は聞いてくれないと思っていました。
実際、私の話を聞いてくれないことはたくさんありました。
ただそれは、そういうお母さんを私がつくりあげていたのだと思います。
そういう現実を一生懸命つくっていたのです。

私の中の不安や自己否定が、身近にいるお母さん通して現れていたのです。

もう大丈夫。

私は自信をもって、愛される現実を創ろう!
お母さん、ありがとう。

帰りに寄ったカフェでおみくじをひらくと大吉でした。
私の産まれた季節の春を思わせる文面で、
お産は安産、願い事は首尾よく叶う( ^∀^)

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最近、ホ・オポノポノの本を読み返していて、わたしの中の記憶が再生されていた。

こういうのを「クリーニングのチャンスをありがとう。」と言うのかもしれない。と思った。

それは“母親”。

心がザワザワするとき、ホ・オポノポノをすると、
決まって過去の母を思い出す機会が増えた。

憎しみから冷静さを取り戻し、また憎しみを思い出し、
ときにそれでも愛されていたと気付き、また憎しみに帰る。
そんなことを繰り返しながら、今日、あるイメージが湧いた。


光にいる自分だけを見ていたくて
傷だらけの自分が泥水に飲み込まれていくことに
気付かないフリをする。
飲み込まれていく自分は、苦しんでいるというより諦めてそれを受け入れ、もがくこと無く沈んでいく感じだった。




私の両親は、私が幼い頃から仲が良くなかった。
幼い私には、父は厳しい人で、母は優しい人、というふうに映っていた。
父はこどもにあまり興味がなかった。甲斐性もなく、自分が一番でいたい人だった。
母は叱るとき、感情的になりヒステリーを起こす人だった。そして事実を責めるというより、人格を否定するような怒り方をする人だった。
それでも私には、優しい母親に見えていた。

夜中にケンカをする声がする。
昼間、「みんなが言うこと聞いて片付けしないから、お母さんはお父さんに怒られるんだよ」と、よく母に言われた。
自分のせいで、優しいお母さんが怒られてる。
そうやって自分を責めた。
母が感情的に怒り出しても、私がダメな子だから怒られている、そう思っていた。
私には姉と妹がいるが、2人がどう感じていたかは分からない。

体に力が入らずダルいことがよくあった。遊んだおもちゃを片付けようと思っても、やる気になれない。横になっていたい。
今思えば、父親や母親に怯えていて、過緊張状態で自律神経が少し狂っていたのかもしれない。

このように文章にすると、少々被害者意識が強いのではないだろうか、というふうに自分でも思える。

けれど、冷静になるとそうでもない。
幼い頃の私は確かに自分を責めていて、
そして常に、少し緊張していた。
その自責の念と緊張感は、外からは分からない。
だけど少しずつ確実に自分を蝕んだ。

蝕んだという表現が正しいのかは分からないので、
ここでは、「自分を愛する(大切にする)という感情を失った」という意味で使います。


自分を責めて苦しんだ
幼い頃に人格を否定されて今尚その影響を引きずっている


これを認めることは、母を責めることにも繋がる。
だから、なかなかそれが出来なかった。
母はいろんなことを我慢して父との結婚生活を送っていた。たくさん辛いことがあったと何度もなんども聞かされた。母の心の犠牲の上に私の人生は成り立っている。その罪悪感と、言ってしまえば同情心故に、私にとって母を責めることは悪だった。

例えばちょっと元気がないときに、イライラするようなささいな出来事が起こるのと、嬉しい気持ちで元気なときに同じことが起こるのとでは、受け止め方に差が出る。

喜びの気持ちがあるときには、過去のことを思い出しても「母も人として学ぶ過程であって、そしてそれ故に私にも貴重な学びがあった」と、受け止められる自分がいる。

逆に心がささくれだっているときに母の過去の態度を思い出すと、正論で言い負かしてやりたい、責め立ててやりたい、時には腹わたが煮えくりかえるほどに憎い気持ちが溢れ出そうになることもあった。

前者で居られれば、私はとても穏やかだった。

穏やかでいられる上に、精神性が高まったような錯覚に陥ることもできた。


もちろん、錯覚に気付いてなどいなかった。
母は私の人生に学びと成長の機会を与えてくれた。そしてそこに私は気付いた。もう学んだのだ。私のこころを脅かす母の存在は、私の宇宙にはもう、ない。

錯覚に気付かせてくれたのは、ホ・オポノポノだった。

心穏やかで、学びを得たはずなのに、折に触れて突如あの憎しみが顔を出す。
いつのまにか「憎んではいけない、そうすべきではない」という思いがはびこり、そしてさらに気付かないうちに、「憎む気持ちでさえ私の人生で必要な学びである」と、人格者を演じるようになっていた。
私は自分で自分を見えないところに閉じ込めた。
傷付いて悲しくて、憎しみに満ちたみじめな自分を遠く見えないところに閉じ込めた。
対峙して、憎しみに巻かれることが恐かったのかもしれないし、人格者ではない事実に向き合えなかったのかもしれない。

自分を愛するということはなにも、自分に感謝したり自分の長所をあげてみたり愛してると言ったりすることだけではない。

辛いと感じていることや苦しみでいっぱいの自分と向き合うこともせずに、ありがとうと言っても何も響かない。
ありがとうという言霊に、力はあるのかもしれないがもっと掘り下げなくてはいけないところにきた。

すべてのものにアイデンティティがあり、悟りがある。

憎しみでいっぱいの自分、
同時に、憎みたくなんかない自分、
ドロドロして泥水に沈んでいく私の腕を今すぐ抱き上げて
ありったけの気持ちを感じきり、クリーニングの光を当てなくてはならない

この、ありったけの気持ちを感じきり、クリーニングをするために何度も何度も思い出し、経験しているのだ、そう気付いた。
これに付随する記憶はたくさんある。
そのうち父のことだって、もっと何か出てくるはずだ。
私の中の両親、家族、私を自由にしたい。






2017年になりました。

昨年は私のブログを読んでくださった方がいらして、とても嬉しい1年でした。
自分の備忘録の為に書いているとはいえ、やはり読んでくれている方がいると嬉しいです。

昨年の新年のブログを読みました。
2015年は自分を愛することに模索していたようですが、2016年も同様でした。


けれど、やはり何かが違います。
2016年は、体現出来たかは別としても思考がきちんと自分を愛する方に変わり、具体的に行動に移せていたように思います、自分としては。

今年はますます自分を愛する年にしよう。

2016年は周りの人に感謝を伝える年にしたい、とも書いてありましたが、それは具体的には出来ていなかったかな…でも、疎遠になりかけていた人にも、自分から連絡をとることは出来ました。それは、ご縁への感謝の気持ちからです。

今年は、さらに具体的に自分を満たしていきたいと思います。
自分を満たして、さらに自分の中の自分と繋がりたい。
それから、自分の言葉で相手に伝えられるようにしたいと思います。
こうやって改まって文字にすれば思いを言葉に出来るのだけど、現実の世界では「まあ言っても分かってもらえないかな、、」と思うと、伝えることをやめて我慢してしまうことも多いです、昔はそうでもなかったのだけど、言葉にすることによって陰口を言われる事が多くなり、やめてしまっていました。
この、「相手に伝えることをやめてしまっていたことに気付いていなかった」ということに関しては別の気付きもあったので、別でかこうと思います。

私のブログを読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。

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