人生に迷い何をしていいかわからないから脳みそを整理しよう -32ページ目

人生に迷い何をしていいかわからないから脳みそを整理しよう

幼い頃は死が怖くてしょうがなかった。
生きることに悩むうちに不思議好きも手伝って自然と精神世界に目覚める。
「スピリチュアル」が流行る前。
今の課題は「自分を愛すること」
自分を愛さなければ…この「〇〇しなければ」をクリーニング


宝くじ当たるのって悪いことなんだろうか?
宝くじ当てたい!って本気で思うのって、
自分の人生を本気で創造する上で怠慢なんだろうか?

昔は楽して何かを得ることに罪悪感がものすごくあって、努力しなければ幸せになれないという思いに取り憑かれていたけど
私も少しは変わることができた。

好きを仕事にして、結果収入を得る

これは理想的だけど、本当にこれだけが
正解なんだろうか?

棚ボタとか、玉の輿とか、思いがけない収入とか、
そんな話をたまに耳にする。
そしたら宝くじだってもちろん願っていいものではないのだろうか?

私が勝手に「宝くじの収入」がスピリチュアルじゃないっていう思考回路だから、世間的にもそう言われているって思い込んでしまっているのだろうか?

苦労した母への労いには、汗水垂らして働いたお金で旅行をプレゼントしないといけないのだろうか?
きっと身を粉にして働いて、切り詰め切り詰め貯めたお金で旅行をプレゼントしたって「勿体無い」って言われるだけ。
うちには本当に余裕がないのだから。

生活の心配なんて、何にもいらないくらいのお金が必要。
この恐怖は間違いなく私のブロックになってた。
減ることが怖かった。
無くなることが怖かった。
騙されているような気持ちになった。
貪る心持ちになってた。

でもそれって私の本質ではない。
私であることに間違いはない。
でもあくまで「恐怖」「罪悪感」は今の結果だと思う。

魂の学びとか、自分がすべて引き寄せてるとか、
そういう話とは別として、
人は生まれ持ったものと育った環境で思考回路が
開かれていくと思う。
私の場合はその結果がお金への「執着」であり「恐怖」


今、本当に苦しいのか?
「無い」現実を創り上げてないか?


こんなに怯えてる自分に、本当に
「先払いの法則」なんて使えるのか?


これを迷ってる時点で「ある」ことを信じていない。のはわかってる。わかってるのだけど…
 

先払いがバレたときの母が怖い。
自分ひとりならなんとかなる。
ヒステリーと、
それから自分を否定するたくさんの言葉を
投げつけられてうんざりするのが怖い。
あの人は人の話を聞いてるフリしかできない。
それは投影なのだろうか?
自分の中に、何があるんだろう?


この間、そんなに飲んでいないのに母が酔っ払った。
酔った母はよく私に、過去の自身の話をする。

父親の暴力。
母親を庇い殴られ髪を掴まれ柱に頭をぶつけられ
それを知らんぷりする姉妹。
離婚し、母親とともに家を出てからの貧乏暮らし。
食べるものもなく、きゅうりをかじって過ごしたこともあると言った。
妹は寂しから、突然すがるようになり、
母親と二人暮らしの家へ来るようになったという。
しかし母の妹は、自分が満たされるとまた、
母を裏切るような言動をとるようになったという。

私の母の中の憎しみと悲しみと孤独は、まだ癒されていない。
「可哀想に」と、言われたかったのだと言った。
だけど私が母に、「可哀想な人生だったね」とは言えない。
誰に言われたら満たされるのだろう?
自分で自分を癒せるということを、母に話したら理解してもらえるだろうか?
それとも、私自身の満たされない思いなんだろうか?

私の勝手な考えではあるけれど、母も自分自身を大切にすることが出来ていない。
「こうあるべき」という気持ちがとても強い。
自分自身を差し置いて、人を助けるべきだと思っている。
仕事先ではいつも損な役回りをして、心を痛め、そして続かない。話を聞く限り、いつも周りにはやな奴ばっかりだ。
それでも、自身が辛い過去を持つから、人が辛いのを見ていられないのだと思う。そこへ道徳感や正義感も手伝って、ただただ辛い思いをする。
相手が可哀想だから。

だけど、人は他人の転ばぬ先の杖にはなれない。

「可哀想な自分」を創っている自分のループから、
自分で抜け出さなきゃいけない。
自分のこと可哀想だと思ってるうちは、
可哀想な価値しか受け取れない。

努力と我慢が報われると思っている。
でもそれは違う。
違うんだろうか?
私が勝手に否定的になっているだけ?

我慢は美徳じゃない。
時代は変わった。今は生活に必要なものを手に入れることが出来て、もちろん絶対ってことはないけど、日本は安全だ。
自分を満たすことを考えることができる。
欲しいものを欲しいと言うこと、手に入れることは決して悪いことじゃない。
だけど、我慢が美徳であるということが前提ならば、
それは悪いことをしているということになる。
罪悪感が芽生える。

やっぱり私の中にあるのかもしれない
満たされない自分と、満たすことへの罪悪感

憎しみと、人を憎むことへの罪悪感
その罪悪感と良心を超越するほどの怒り

寂しさ、悲しみ

「耐える」ことが最上級の善業だと思うならば、
「耐えている」間は実は幸福でだけど「耐えなければいけない」ことしか起きない現実は苦痛でたまらない。そのことに気付かなくてはいけない。
私の中の「我慢しなきゃ」「我慢して頑張っていれば必ず誰かが見てくれている」の根底にあるものはなんだろう?
母は別人。私ではない。だけど私の中にある。
「我慢して頑張っていれば誰かは」は、他力本願だ。
自分で動かなくてはならない。


全部、全部癒されますように。
私を無価値にしているのは私で、母の中に感じる無価値感は、私の中にある。

私が幸せでありますように。
宝くじが当たりますように。

私の幸せってなんだろう。

私にとって自分を愛するって目から鱗で、
「自分 愛し方」って検索するくらい
具体的に何をしていいか分からなかった。

最近、幸せについて本気出して考えてみたい!
って思う。

「疲れちゃってる」のは、たしかにちょっと前までは
あったかもしれない。
でも今は完全に怠惰。

具体的に行動しなきゃ、ってやっと思えるようになった。

自分を愛するということが目からウロコだったけど、
でもきっとずっと前から気付いていたと思う。
「つまらない」って思ってた。

「少しずつでいい」とはもう言ってられない気がする。

以前はよく、ブルーソーラーウォーターを作っていました。
青い瓶に水を入れて、太陽の光にあててつくる、ホ・オポノポノのクリーニングツールです。

ビールやミネラルウォーターの空き瓶を利用していたため蓋がなかったので、そのまま太陽に当てたりラップしたり。なので飲用にはしていませんでした。

お風呂や洗面所、トイレ、玄関を掃除した後に仕上げでかけたり、それから、洗濯機に入れて回したりしてました。

私は昔から、洗濯をするたびに不安や罪悪感を覚えていました。

「あ、この洋服洗いすぎかな。生地傷んじゃうかな。もっと大切に扱ってればいいのになんで出来ないんだろう。無駄に洗えば水道代もかかるし洗剤も減っちゃう。。。なんでしっかりできないんだろう。水の無駄使いになっちゃうな。地球の資源を無駄にしてる……もしも私がお金持ちで、水道代なんて全然気にならなかったら、もしかしたら資源を無駄使いしてることに気付かないかも。きっと、お金がかかるのが怖いだけで本当は資源の心配なんてしてないずるい奴なんだな。あ、このお気に入りの下着…洗ったらレース傷んじゃうかなあ。」

とにかく色々もんもんしながら洗ってました。

本当に不安の塊。
前回の記事で洗濯に纏わる不安に気付いたので、この件について書きましたが、
こうして冷静に考えてみると、何をするにしても不安に思っていることに気付きました。

次回は、そのまとめと気付きについて書きます。