先日の旅行は、お金持ちの友人と行きました。
長い時間を一緒に過ごす中で思ったこと。
「なんか私の歩き方…せかせかしてる…」
同じ速度でも、大人が歩いているのに小さいこどもがついてきてるかのような…
トコトコトコトコトコトコトコトコ…
もっと優雅に歩きたい!
そう思いました。
スピードを変えないまま、歩幅を少しだけ大きくして、、、背筋を伸ばして、、、
そうしたら、使うのを忘れさられていた筋肉が動き出しました笑
脚だけじゃない、腹筋、背筋、腰の周りの筋肉、、、
歩くのってこんなに腹筋使うんだ!
足音さえ美しい。
なんだかすごく心地いい。
優雅な歩き方を意識すると、自然と、立ち止まったときも座っているときも、いろんな所作を上品にしてしまう。
気品のある過ごし方、これは、ビンボーコンプレックスの私がむかーしむかし心の奥底に閉じ込めてしまった私の「のぞみ」です。
美しく生きていきたい
丁寧に生活したい
愛おしい物に囲まれたい
絵になるような佇まいに憧れる
匂い立つような色気のある女性になりたい
綺麗な声で、美しい日本語で話したい
日本の季節の行事を楽しみたい
朝はゆっくりお茶をいただきたい
そんな「のぞみ」はいつのまにか、「具体性がない目標は意味がない。こんなことしても1円にもならない。」という思考に追いやられていきました。
薄利多売。
時間がもったいないからとにかく早く動く、同じ時間内に合理的に多くをこなす。
もったいないから擦り切れるまで使う。
ボロボロになるまで働く。
高額で購入したお気に入りは、もったいないからあまり使わない。
安いお店でセール品を買う。
安いものは形があまり好きではない場合が多いが仕方ない。
デザインより実用性
夜更かしして、朝はギリギリまで寝たい。
私の「のぞみ」とはおおよそ対極にあることばかりやってきた。。。。。
ビンボーなくせに上品ぶったら恥ずかしい。もっとお金になることをしなければ。現実を見なければ。
こんなことばっかり考えてきた。
プロセスを楽しむ余裕なんてなくて、コツや即効性ばかりに意識が向かっていた。
でも、これらは辛すぎた現実を生きるために支えてくれた思考でもある。その時は、合理的にいっぱいこなすことにたぶん達成感に似たような安心感もあったはずだから。
ひとつ成長して、心に余裕ができて、今。
やっと自分の「のぞみ」に向き合える。
そしてあのときの私に、ありがとう。
私の「のぞみ」いっぱい満たすよ。
「今」この瞬間ビンボーなのは変わらない。
恋人もいない。
安月給。
無趣味。
でもめいいっぱい心豊かに過ごそう。
周りがどんな環境とか関係ないはず。
優雅に歩くことが定着したら私の中の何かが変わりそうです。予感です。
お金持ちになりたいのなら、そのつもりで振る舞う、そういう“気”に触れることの意味が肚に落ちたような気がする。
多くを望まず、密度を濃ゆく。
ゆっくりと美しく、優雅に歩きたい、人生も。
具体性も合理性も達成感も安心感も、あのときは必要だった。だけもほんのちょっとでも落ち着いてきて、少しだけだけど自分と向き合えるようになったとき、さっさと自分に言ってあげたかった。
「で?ほんとはどうしたいの?」と。笑