人生に迷い何をしていいかわからないから脳みそを整理しよう -27ページ目

人生に迷い何をしていいかわからないから脳みそを整理しよう

幼い頃は死が怖くてしょうがなかった。
生きることに悩むうちに不思議好きも手伝って自然と精神世界に目覚める。
「スピリチュアル」が流行る前。
今の課題は「自分を愛すること」
自分を愛さなければ…この「〇〇しなければ」をクリーニング


私は何が目的で生まれてきたのか、本当のところはどうか分からない。

過去に受けたリーディングでは「女性として人生を楽しむために生まれてきた」と、言われた。

今の日本を選んで生まれてくることはそもそも、楽しむことを目的にしている人が多いらしい。

日本はスピリチュアル文化こそイギリスに遅れてはいるものの、精神性の高い国だと言われている。


私は幼い頃から家庭のことで色々悩んできた。
家庭に問題があったことと、親が厳しかったこと、私自身が非常に真面目な性格だったこと…様々な要件が重なり、私はちっちゃな頃からかなりの頑張り屋さんだった。
人が嫌がることは率先してやったし、いろんなことを我慢したし、家のお手伝いもいっぱいした。

もともと好きなのかそういう境遇で育ったからそうなったのか分からないけれど、私はこどもの頃からスピリチュアリズムが好きだ。

昔はまったくもってブームではなかったので、人には言ったことがない。勇気がなくて。
実家にはパソコンがなかったので、ピッチを持つようになってからは、その手の話を検索して読みまくってた。

江原啓之さんがメディアに出てくる頃にはその手の書籍もいっぱい出て、ネットにも話がいっぱい出回るようになっていた。
それはそれは楽しかった。ラブラブコアラ

江原さんのお話は、人生の苦労が報われる感じもしたからさらによかったんだと思う。
サイトに登録して、毎日のように読み漁っていた。

脳科学や自己啓発系の書籍も好きだった。ブッダやキリストの話も好きだった。
お金を使うのが怖い私だったけど、この手の本にはけっこうお金をかけていた。でもやっぱり怖いから、立ち読みもめっちゃした。


そうして江原さんの本や何やらを読みまくっていた頃、昔からの自分のテーマだった「人は何のために生まれて何のために生きるんだろう」ということに、あるとき自分なりの答えが出た。

「あ、人って幸せになるために生きてるんだ」



辛過ぎて、楽しいことなんてほとんど何もなくて、家族は不仲でその上将来は不安。

正直、いつ死んだっていいって思ってた。

そんな私が「幸せになるために生きる」っていう考えに到達したのは非常に画期的な出来事だった!笑


江原さんはよく、魂の成長について説いていた。
今で言う“ワンネス”っぽいことも言ってたように思う。
それぞれ個々の魂は、別々であるように感じるけれどあの世に帰ったらひとつで…魂を成長させるため、各々この世に勉強しにきてる…あの世へ帰ったら、グレートスピリットとひとつに……。

ひとつになってどうすんだろ?宇宙人くん
なんのために?なんで魂を磨かなきゃいけないの?おばけくん

それをずっと考えてた。

だけど「魂を磨くことで自身は成長する論」は、苦労は買ってでもしないといけないと思って(恐らく)いらぬ苦労もしてめっちゃしんどかった私を支えてくれた。

だけど解せない。
なぜ磨く必要が、というか、グレートスピリットとひとつになる意味が分からない。なにゆえグレートスピリットとひとつになったときのために磨かなきゃいけないの。


それを考えて考えて考えて、それで、やっと

「あ、人って幸せになるために生きてるんだ」

と、なりました。

容姿端麗で勉強が出来て家が裕福で、友達にも何にでも恵まれてて趣味があって将来なりたいものがあって何でも思った通りになったら。その環境が生まれたときからだったら。
当然、恵まれていることには気づかない。
足りなくて苦しい人の気持ちなんて分からないかもしれない。
むしろそれでも足りない・満たされないで苦しむことだってあるかもしれない。
心が震えるような感動は感じにくかったかもしれない。
複雑に重なり合う心が織りなす『喜びの種類』を知らなかったかもしれない。

身体に痛点がなかったら、平気で暴力ふるっちゃう。痛くないんだから、殺すことをいとわなくなっちゃう。
人間が不死身だったら、やっぱり殺し合いになっちゃう笑。どうせ死なないんだから笑

そう、やっぱり苦労はしなくちゃいけない。
買わなくていいけど笑
傷ついて痛みを知って、目標を達成して喜びを知る。
痛みを知るのと知らないのでは、幸福の感じ方はきっと違う。
すぐには出来なくて、あれこれ工夫して達成するときの喜びは、やった人にしか分からない。
そしてもちろん、楽しい経験だって絶対必要。「欲しい」「あれやりたい!」も、それぞれが持つ『個性』なのだから、それを活かすためにも満たす必要がある。

生きる以上、色んなことを経験する。
経験したり、想像したり、行動したり、創意工夫することが魂を磨くこと。

色んなことを経験すると、人は幸福を感じる能力が上がる=さらに幸せになる。

個性を活かし精一杯生きる満たす=経験値獲得=幸せになる

雑な方程式だけど笑、きっと人は幸せになるために生を営んでいる。ピンクハート
グレートスピリットについては、今ならなんとなくだけど意味がわかる。
あの世へ帰ったら個じゃないんだね。
個人個人の努力とレベルアップによって組織もさらにレベルアップするもんね。

だけど、グレートスピリットのためではないかな。
グレートスピリットのお話が事実だとしても。
自分のために幸せになる。

どんな研磨剤で魂を磨くのか、どんな経験値を積んで幸福感知力をレベルアップさせるのか、幸福感知力をレベルアップさせて、どんな喜びを感じるのか。

きっとそれを決めて、それに合った環境を選んで生まれてくるんだね。

悲しくも望まれずに生まれてくることはあるかもしれないけれど、自分は確実に望んで生まれてきてるイエローハーツおすましペガサス乙女のトキメキ


カッコつけずに、今、本当に悩んでいることを言うならば。

考えてみたけれど、そういうことを話せる友達はいない。


ブログにはちらりちらりと書いてきたけれど、私は結局「お金がない」ことに悩んでる。

認めているつもり。だけど、受け入れきれていないのかもしれない。
だから真剣に言葉にしてみようと思った。
徒然なるままに書き殴って、頭の中を整理しよう。
そして、ありのままを見つめて受け入れよう。
聴く人によっては「それくらいのこと」かもしれない。「だったらもっと努力しろよ」って思うかもしれない。頑張ってるけど頑張りきれなかった。死なないことが精一杯だった。私自身のことだから、他人の目線は一切捨てて考えよう。

私にはお金がない。
貯金なし。
うちにもお金がない。
貯金なし。
持ち家なし。
両親は離婚した。
何かあっても親は頼れないし、むしろそろそろ、養うことを考えなければいけない。
親戚を頼るなんてありえない。
両親は兄弟と仲が良くない。だから頼れない。

不安で仕方ない。

このままどうなってしまうんだろう?


引き寄せの法則と、突き付けられる現実を行ったり来たり。
行ったり来たりという時点で引き寄せの法則を信じきれていない。

いろんなことがごちゃごちゃ浮かんでくる。

なぜ、人に言えないのか?
⇨やっぱり…恥ずかしいから…?
 貧乏って恥ずかしいと思う。なんでだろう?
こどもの頃から貧乏だった。

貧乏って恥ずかしい
お金がないって恥ずかしいことだと思う。
「金欠〜」とかそういうレベルじゃない。
住むところもままならないかもしれないんだもん。
日本に生きてて“衣食住”を満たせないなんて、恥ずかしくて人に言えない。
親の住民税の督促状がきてる。
そんなこと人に言えるか?


なんでだろう?

「あ〜貧乏なんだ」って思われたくない。

カッコ悪いから?
一言で言えばそうなのかもしれないけど、そんな浅はかな話じゃない。気がする。



幼少期
おもちゃを買ってもらうことは滅多になく、欲しいものをねだったり出来なかった。むしろ罪悪感。
長く伸ばした髪を可愛く結ってもらっている友達を見ては、羨ましくもあり自分の惨めさと、ブサイクさが嫌で仕方なかった。
「この世は修行の場」とは、母が尊敬し慕っていた母の祖母の言葉。お金はなかったけど幸せだったなど、努力や苦労は人生に絶対重要だという考えになる。こどもの頃から妙に真面目だった。


小学校
ませた友達が多く、流行りの洋服を持っていないことに劣等感があった。お小遣いもなく、友達と遊びに行って自分だけ買い食いできないことはよくあった。平気を装っていた。
「もっと食べたい」「もっともっと欲しい」「自分の分を人にあげたくない」そういう気持ちにかられるようになり、自分の醜さに自己嫌悪の日々。
母は深夜のパートをして心身ともに疲弊していた。
家のことを手伝ったり母を助けようとするが、そのせいか父には嫌われるし何もうまくいかない。


中学校
部活動にかけるお金もなかったので、入りたくない部に入り一番安い道具を揃えた。劣等感。と、同時に親にお金を使わせたことへの罪悪感。
相変わらず家にお金はなく、将来が不安でいっぱいだった。しかし、母がお小遣いをくれるようになる。毎月3千円の約束だったが、忘れられてしまう月もあった。3千円は割と高額だったのでもらうことに罪悪感があり、貰えない月には何も言い出せなかった。卒業が近づいた頃、父親が勤めていた会社が倒産し父が自己破産。高校へ行くことへ不安が募る。私が働いていれば少しは家計を助けることが出来るのに、と、新聞配達でもなんでもすることが出来ない自分を責め続けた。相変わらず母を助けようと家のことをしたりする。
受験は本気で推薦を受け、受験料を抑える。行きたい高校なんてなかった。交通費のかからない場所を選ぶ。


高校
すぐにアルバイトを始める。携帯代や時にはお昼代も自分で払う。もちろん洋服や文房具なんかも自分で買う。今までお小遣いをもらっていなかったので、自分で使えるお金があることは嬉しかった。だけど、貯められなかった。ものすごい無駄遣いをしていた訳ではないけれど、何故か貯まらない。それどころかギリギリで、携帯代の引き落としがキツかった。それから、お母さんやお父さんが我慢しているのに、自分だけ欲しいものを買ったり食べたりすることに常に罪悪感があった。修学旅行は欠席。払いきれないから。なけなしのお金で滞納している光熱費を払ったりする。授業料さえやばい日々。大学へは行けないので、就活をする。


高校卒業後
就職。給料は高くないが、水道光熱費込みの寮があるところに就職する。一応、職種は自分の希望のものにした。奨学金は自分で返済する。
仕事は結局辞めてしまった。フリーターになりガシガシ稼ぐ。が、相変わらず貯められない。罪悪感はありながらも、昔はきちんと自分の好きなことをしたり好きな仕事をしたり出来ていたかもしれない。父は働かなくなっていった。のち、年金受給、健康保険料滞納。
思考回路は「お金がかからない」方法ばかり探していた。賢くもなったけど、選択肢をかなり狭めた。


結婚
出来ない。貯金もないような奴と結婚なんてしたくないだろうと思ってる。
親を養えるくらい収入のある人と結婚したい。
でも所詮、貧乏とは結婚したくないだろう。家具だって古いのしか持ってないし……。

という思い込み。思い込み?

「いつか」「将来は」玉の輿に乗る!と決めていた。


恋愛
結婚出来ないなら恋愛はどうだろう?
こんな話を受け入れてくれるだろうか?
出来ない。話せない。
色々気にしてるうちに疲れてきた。



カフェでこれを書いてる。軽食を頼んだらいまだに罪悪感。



私は身体醜形障害(醜形恐怖症)の気があって、鏡に映るのも写真を撮られるのも嫌で、人から容姿を褒められても受け入れられなかった。色々あって、容姿に自信がないことのほかに自分の“表情”が嫌だということに気付いた。すごく“みじめそう”な顔をしていたから。何をするにも自信がなくて、飢えてる感じの顔。
それに気付いて、表情を意識するようになってからは鏡に映ったり人と話すのは平気になった。まだ写真は無理だけど。

とりあえず、ここまで書いて思ったこと。
・本当に常に罪悪感を覚えてる。⇦これは手強い
・「人生は修行の場」という価値観。
・こどもの頃に、相談できる大人がいたら違かったかもしれない。
・自分が楽しいことより他人を優先しまくってた。
・「楽しい」と思うことやそれにお金を使うことに罪悪感がつきまとう。
・「誰かのため」なら安心してお金を使えた。
・楽をしてお金を得ることに罪悪感がある。



今後
とにかく常に罪悪感を頂いてて、不安でいっぱいだった。心のそこから自分をリラックスさせてあげたい。それから、諦めてしまった色んな願望を思い出して1つ1つ叶えよう!
真面目過ぎて自分を追い詰めてしまった部分もあるけれど、それによって助けられたことがあるのも事実を。自分の真面目さを嫌わず、感謝しよう。感謝して手放そう。
楽観的に、楽しくてそして叶うということを受け入れよう。








い。って思いました。

以下、私の心の動きです。
※ネタバレあり


うーん?なんかおもしろくな……
いや、そんなこと思っちゃいかん
いかんのか?
ダメなの?自分に正直に…
うん
つまんないなあ。なんか。
たいくつ
あれ?なんでかな?
………。
あ、あーーーーーー!


「障害者と風俗嬢の本気の愛!感動するに決まってる!」
「ミツちゃんいろいろやってくれるに決まってる!」


って思い込みながら観てた。
(´;ω;`)


感動的な流れじゃないからつまんないって思った。。。
けっきょくは嫌な女だなと思った番組ディレクターとおんなじ。。。
さ  い  あ  く 。(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)


まっさらな気持ちで観たら、ほんとに面白かった。


と、思っていたけど、先入観というか思い込みって、無意識でやっているので本当に外すのが大変ですね。。。

はるちゃんとクマピーがお別れしていたのは知っていたので、幸せそうな2人の描写が辛かった。
最初は興味がなかったクマピーがミツに心惹かれてそして2人が心底幸せそうに過ごす、心の動きが短い時間の中に丁寧に描かれていて。
本当に本当に幸せそうだったから、別れを思うと心が痛かった。
でも気付いてしまった。なぜ?心が痛いのか?

「きっとクマピーにとって最後の恋になる」

と、勝手に思ってた。
私は最低です。
障害者であるクマピーは恋が難しいと勝手に決め付けながら観てた。

誰にも埋めることのできない空虚、喉を通らない食事、心がえぐられるような思い。
辛い失恋くらい、誰だって経験する。

2人の愛が、当事者ではない私からもあまりにも純粋で本物に見えるから、終わりがくるのは辛い。
それから、クマピーの生い立ちや恋愛観なんかも、これ以上彼を傷つけないで!という気持ちにさせる。
もちろんそれもあるのだけど、きっとそれだけではなかった。

私はクマピーが、もう恋なんてしない出来ないって思ってしまってた。

そんな偏見を持つ自分にショックでした。

ラスト、逃げ出す2人を見て、逃げ切れる訳ないよなあ、と思うと同時に、
「でもこれでいいんだよなあ」って漠然と思った。
上から目線、とかではなく、何故かすごく腑に落ちたというか。。。

2人の気持ちが本物で、それを貫く意思を持って行動がそれに伴っていれば、きっと人知を超えたシナリオが書き加えられていくんだろうなあ。

この映画が表現したかったのは「純粋な愛そのものの体現」で、「感動のストーリー」ではないんだよなあ。。。
そもそも感動って目的ではなくて結果であるべきよね、、、
出直そう。

それから、障害者が置かれている現実も非常にリアルに描かれていました。
周りの態度、家族の考え方…
周りに迷惑をかけながら生きる、それでも生きる、それは私が想像するよりずった大変なことなんだよなと…。私ひとりが自分の中だけで障害者に対して理解を深めるだけじゃ世間は何も変わらなくて、それは当然、障害者の方が置かれる状況も何も変わらない。
行動にうつさなくてはいけないんだと、改めて思いました。。。

そして2人のセリフは心に刺さるものがたくさんありました。
クマピーはユーモアを交えながら性について語っているけれど、ああやって話せるのはきっと真剣に向き合ってきたからなんだろうなあ。あんな風に話せるまで、どのくらいかかったんだろう。

ミツは「できるよ!」が多くて、
クマピーは「無理」が多かった。

それから、ミツの「そのままでいい」っていうニュアンスのセリフが多いのが印象的だった。
原案の熊篠さんの中でも言われて嬉しかった言葉だったから、散りばめられてるんじゃないかなあ。
でも「そのままでいい」って受け入れる言葉はミツの人格を表す大切なセリフだから多かったのかも、考えすぎかな>_<

大人になるとオブラートに包んだり社交辞令言ったり変化球投げたりばっかりだから、思ったこと伝えたいことをあんまりにもストレートに表現するこの映画を、もしかしたら理解しきれてなくて深読みしすぎてしまうのかもしれない。



チネラヴィータでは、とりあえず20日までは上映されているみたいです!(´∀`)♡
是非!面白い映画です!!!

リリー・フランキーさんの障害者の演技が違和感がなく見れました。誤解を恐れずに言うならば、障害者となると難しい役なのかなと思います。実際、過去に観た映画やドラマでの障害者役で違和感があったりリアリティがなかったりして感想が物語からそれてしまったりすることもありました、失礼ながら。例えば、耳が聞こえない役なのに明らかに音に反応したような動きがあったり、目が見えない役だけど瞳が何かを追っていたり。リリー・フランキーさんは動きに矛盾?がなくて、表情の作り方とか、俳優さんとして素晴らしいなと思いました。偉そうですいませんm(_ _)m
他の役者さんももちろん良かったです。
個人的には昔から小池栄子さんの演技が好きです。


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