変わりたい!と思ったあの日から、少し変わったこと。
昔は、嫌なことがあるとそればっかりが頭を巡っていました。
例えば、家族のこと。
母が少々理不尽なことでイカリだして、ヒステリックになったとき。
そのイカリを全身で受けてしまって、心身共に疲れ果てていました。
理不尽なイカリなので、こちらとしてはイライラもやもや…
でも、母のイカリを増幅したくないから反論もせず…
頭の中で、時間がそれを忘れさせてくれるまで反復して何度も何度もセリフや態度をリピート。
嫌な気持ちになるのですが、なんでだろう。
自分が悪くないのにイカリを向けられて、自分は悪くないのに相手を許さなきゃいけないなんて、そんなのは嫌だったのだろうか。
とにかくずっとずっとそればっかり考えてしまい、
ほんっとーーーに嫌な気持ちになっていました。
相手が母じゃなくても同じでした。
だから、望むことに意識を集中する…エネルギーを望む方に流す…的なことが、難しくてしょうがなかったんです。
でも、変わりたい!と、思ったあの頃から。
なぜか、少しずつ、
「受け流す」ことが出来るようになったんです。
私に向けられているイカリを受け取らなくてもいいんだと理解したというのか…
“別の空間の出来事”のようにとらえることが出来るようになってきたんです。
これは、何度かつまづいてきた、
気づかないうちに感情に蓋をしたり、自分を誤魔化してきた類のとは、なんだか違う感じなんです。
もちろん、イライラもやもやに飲み込まれそうにねるときも、あります。
そしたら、母のイカリが、長く続かなくなったのです


え。不思議!
もともと、反論しなかったし、黙々と話を聞き続ける…という、私の態度は変わっていないのですが。
何かちょっとした問題が起きて、母がヒステリックになったときは、ただひたすらふわっと問題が解決したということだけを考えています。
問題が解決してニコニコした自分とかは無理に想像していません。
ただ、イライラもやもやの感情に飲まれずふわっと「解決した」と決めています。
ホ・オポノポノのクリーニングからは逸れているのかもしれないし、
クリーニングの結果、手に入れた方法なのかもしれない。
分からないことだらけ。
でも、分からなくていいのかもしれない。
まだ、理解出来る段階ではないのかもしれない。
引き続き、クリーニングをします。