人生に迷い何をしていいかわからないから脳みそを整理しよう -18ページ目

人生に迷い何をしていいかわからないから脳みそを整理しよう

幼い頃は死が怖くてしょうがなかった。
生きることに悩むうちに不思議好きも手伝って自然と精神世界に目覚める。
「スピリチュアル」が流行る前。
今の課題は「自分を愛すること」
自分を愛さなければ…この「〇〇しなければ」をクリーニング


変わりたい!と思ったあの日から、少し変わったこと。

昔は、嫌なことがあるとそればっかりが頭を巡っていました。
例えば、家族のこと。

母が少々理不尽なことでイカリだして、ヒステリックになったとき。
そのイカリを全身で受けてしまって、心身共に疲れ果てていました。
理不尽なイカリなので、こちらとしてはイライラもやもや…
でも、母のイカリを増幅したくないから反論もせず…
頭の中で、時間がそれを忘れさせてくれるまで反復して何度も何度もセリフや態度をリピート。
嫌な気持ちになるのですが、なんでだろう。
自分が悪くないのにイカリを向けられて、自分は悪くないのに相手を許さなきゃいけないなんて、そんなのは嫌だったのだろうか。

とにかくずっとずっとそればっかり考えてしまい、
ほんっとーーーに嫌な気持ちになっていました。

相手が母じゃなくても同じでした。

だから、望むことに意識を集中する…エネルギーを望む方に流す…的なことが、難しくてしょうがなかったんです。


でも、変わりたい!と、思ったあの頃から。

なぜか、少しずつ、
「受け流す」ことが出来るようになったんです。

私に向けられているイカリを受け取らなくてもいいんだと理解したというのか…

“別の空間の出来事”のようにとらえることが出来るようになってきたんです。

これは、何度かつまづいてきた、
気づかないうちに感情に蓋をしたり、自分を誤魔化してきた類のとは、なんだか違う感じなんです。

もちろん、イライラもやもやに飲み込まれそうにねるときも、あります。


そしたら、母のイカリが、長く続かなくなったのですバイキンくんバイキンくんバイキンくん

え。不思議!

もともと、反論しなかったし、黙々と話を聞き続ける…という、私の態度は変わっていないのですが。


何かちょっとした問題が起きて、母がヒステリックになったときは、ただひたすらふわっと問題が解決したということだけを考えています。

問題が解決してニコニコした自分とかは無理に想像していません。
ただ、イライラもやもやの感情に飲まれずふわっと「解決した」と決めています。

ホ・オポノポノのクリーニングからは逸れているのかもしれないし、
クリーニングの結果、手に入れた方法なのかもしれない。

分からないことだらけ。

でも、分からなくていいのかもしれない。
まだ、理解出来る段階ではないのかもしれない。

引き続き、クリーニングをします。


今年の目標決めた。
1カ月に4冊、本を読む!

ページ数には拘らないけど、前書きから後書きまで、全部読むことにする。
気になったところだけ読んで、あとは読まなくなるパターンが多いから、全部読む。
雑誌はNG、書籍のみにしよう。

雑誌の読み物から学ぶことも多いけど、目標としての本からは外す。

どうして本を読みたいんだろう?


単純に、好きだから?
魂の目的?
周囲への見栄?


単純に好きかもしれない。ただ、知識欲はあるのだけど、本好きの中では活字がそんなに得意じゃないような気もしてる。

魂の目的?「知る・解る」ということが好きだし、それをするとすごく満たされるので、何らかの関係はあるのかもしれない。

見栄を張る…読書が趣味ってかっこいい。博識な人ってかっこいい。

どうして知識欲があるのか?何故知ると満たされるのか?どうして博識な人が素敵だと映るのか?

この辺も踏まえながら本に触れていきたい。


実はこれ、数年前からの目標。
私のお願いを実現してこなかったので、遅くなっちゃった(しかも2月)けど、今から私の目標にします。



ある友人から、仕事でなかなかうまくいっていないという話を聞きました。


その時の私の、正直な感想は

「ちょっと苦労した方が良いんじゃないかな」
「素直に応援は出来ないなあ」

というものでした。

その友人のお仕事は、本人のスキルや経験だけではなく、天候そして運にもとても左右されるのです。

友人の職場のリーダーは常日頃から
「日々の行いが物を言う」と話しているとのこと。

私もこのリーダーとは知り合いで、
この方に対しては
「どうか上手くいきますように!」
と、思います。イルカ



友人と同じ仕事をしているのですが
リーダーのことは応援したい。

でも、

友人のことは応援したいと思えない。



リーダーは、普段から人のことを悪く言ったりしない人で、今のお仕事も自分で道を切り開いてきた、大好きだし応援したくなる人。

一方友人は、良いおうちに生まれ、お金には苦労しておらずそしてお金が大好きで、自分のしたいようにするタイプで気分が悪ければ他人に対して態度が悪いときも多々ある。 


共通しているのは、そのお仕事が大好きで、その仕事での目標がたくさんあること。ざっくり言うと。

最初は、
この「応援したい・したくない」は、
人柄がそうさせるのかなと思った。


リーダーは人から応援される生き方をしてる人。
友人は、応援したい!と思われる生き方ではないのかなと思った。
※個人の感想ですが。


それで、私も応援される生き方をしたいよなあって思って、
それをブログに書こうかなって思って、
でもそれっていわゆる“本当の自分が望む”生き方なのかなあって疑問もあって、
結果的に応援されるのであって、応援されるのが目的ではないよなあって思って、
好きなことを一生懸命してると自然と応援されるんだよねって思って、
じゃあどうして、友人のことは応援出来ないのかなあって思って、
友人は、非常識ともとれるような行動をして相手に感謝とかもなくて、自分のしたいようにしたいから、やっぱりそういうの見ると嫌だなって感じるときもあって、
だから応援したくないのかなって、
これがリーダーの言う「日々の行い」ってやつかなって、
でも私が応援したいとかしたくないとかごちゃごちゃ考えてるだけで、
当人は別に応援なんて求めてなくて、
応援なんかなくたって目標に向かっていくわけで、
なんかそんな感じで
ずっともやもや考えていました。

もやもやっていうのは、私自身がこの感情の本質に出会えてなかったからだと思う。

もちろん、この引っかかりがキーになるのだと思ったけれど、
なかなか前に進めなかった。




好きなことをしているのが羨ましいから、嫉妬?
いや、違う。
ゼロじゃないかもしれないけど、そこじゃない。


嫉妬があるとすれば、
私から見れば対して苦労もしていないのに色々目標を叶えているところだ。
人に高額なお金を出させて、特に感謝もないところはやっぱり見てて嫌な気持ちになる。



もしも私が。
叶えたいキラキラした目標があって、
それを大した苦労もせずに色々叶えていて、
家族の心配もせずやりたいことをやりたいようにやって、
特にお金に困った経験がなかったら?

もしもそうだったら?

そうしたら。

友人のこと素直に応援出来ていたのかな。
不快には思っていなかったのかな。



幼い頃から特に不自由なく過ごしていて、
税金や保険料が払えないとか生活の心配するような貧しさなんてなくて、
お金について心配をすることなんてなくて、
夢を応援してくれる環境や
やりたいことをやりたいと言ったり、思ったことを言えるような環境で育っていたら?
自分の本当の気持ちを肯定してくれる環境で育っていたら?


そうしたら、


私は友人に対して、どんな気持ちになっていたんだろう?

お金が当たり前にある環境で育っていたら、
私は自分のためにお金を使ってくれる人に感謝をすることが当たり前に出来ていたのかな?





2017年の記事です……

私の中でまだまだ、
“苦労”がトラウマのままで、
生きる糧に昇華出来ていない。


お金がない恐怖が、お金を使うことへの恐怖になっていて、お金を払いたくなくて、そんな自分はみじめで恥ずかしい奴で、人に払ってもらおうとする自分は、卑しくて浅ましい奴だ。。。


私は、友人が、恵まれているのに文句ばっかり言っているように見えているんだな。。

だから、応援できないんだな、、(´・ω・`)

もう少し、根が深そう。
(´・ω・`)