
バーを出た足で、キョウはドックに向かった。
「もう終わったのか?」
案の定、夫のヘントが、自分の機体の整備をしていた。コクピットの傍までキョウが来ると、すぐに気づいて顔を出した。
「先に切り上げてきた。あなたとのこと、あんまり冷やかされるから。」
キョウは照れくさそうに笑い、手すりにもたれかかった。
「そこのドリンク、飲むといい。青いボトルのは、君のだ。」
コクピットの中から声だけがする。作業台の隅に、青いドリンクボトルがあった。手に取ると、ひんやりとした感触が、酒でほてった体に心地よい。
「準備してくれてたの?」
「ここに来ると思っていたからな。」
ニュータイプ、などど、無粋なことはもう言わない。キョウはボトルを開けて、ドリンクを一口飲んだ。
「よし、終わったよ。帰るか。」
ヘントがコクピットから出てくる。自分が着いた途端に作業が終わった。
「もしかして、待っててくれた?」
「どうかな?どう思う?」
2人でくすりと笑い、歩き始める。
「もう少し、戦いは続きそうね。」
並んで居住区の廊下を歩きながら、キョウが言う。
「ああ、そのための準備だな、これは。」
次の相手は、ジオンらしいな、と、ヘントは呟いた。
ハマーン・カーンの勢力が、地球圏を掌握しつつある。ティターンズの残党も、各地に潜んでいる。新たな争乱が始まろうとしている。それとも、"グリプス戦役"と呼ばれる先の戦いがまだ、終わっていないのか。それとも、ジオンなどという亡霊じみた勢力がうごめいているのは、1年戦争の火種が燻り続けた結果なのか。——いや、もっと前の、遥か旧世紀、あるいは人類史始まって以来の騒乱から、今の戦禍は地続きにあるのかもしれない。
何にしても、今度も、生き残る。彼となら、もう、何も恐れることはないのだ。
隣で、共に戦う。ティターンズに反旗を翻したときに決意した。
(違う、そうじゃない。)
北米でプロポーズを保留したとき……いいや、砂漠で彼への愛を自覚した時からだ。彼となら、共に果てようとも、と、直感的に決めていた。そのために彼も、待ち続けてくれた。

「あのね、ヘント、わたし……。」
遠慮がちに、キョウが口を開く。
「みんなから、子どもは、って、話題も出て……。」
「それは、戦いが落ち着いてからだ。」
ヘントも、少し頬を赤らめて応える。
「それは、もちろん——!」
そうなんだけど、と、キョウも頬を赤らめながら続ける。
「わたし、ちゃんと、子どもは欲しい……。」
「な、なんだ。久々のストレートだな。」
ヘントが動揺した声を出す。
「男の子ならアードベック、女の子ならラフロイグか、アイリッシュ。」
「どれも、酒の名前じゃないか。」
「ええ、どれも、美味しい。」
そうじゃないだろう、と、ヘントは苦笑を浮かべる。
「君、自分の名前……嫌がっていたじゃないか。」
「そうだった?」
とぼけて見せるキョウに、ヘントが何か言うよりも早く、彼女は悪戯っぽく微笑んだ。
「いいの、今は好きだから。」
ふふ、と笑うと、また話を続ける。
「ハネムーンも。わたし、ニホンに行きたいな。オンセン、オスシ……秋がいいわ。綺麗な紅葉。」
「……あの地域、まだ入れるのか?」
「さあ?でも、わたしね。」
キョウは、少し遠くを見つめるように言う。
「地球で暮らしたい。あなたと。」
それは、人類のエゴで地球を汚しきり、その環境を疲弊させた宇宙世紀においては、罪深い考えなのかもしれない。
地球の重力に、魂を引かれた人々。
エゥーゴでは、地球にしがみつくオールドタイプをそう呼ぶ者もいるらしい。
地球の環境保全のため、人類は残らず宇宙にあがるべきだと、エゥーゴのシャア・アズナブルは言った。
ティターンズのジャミトフ・ハイマンも、戦争で世界を疲弊させ、地球に居残る人類を根絶やしにすることが真の狙いだったと聞く。
皆が皆、地球を守るためには、一度地球を捨てろと言う。そんな時代の声を分かりつつも、愛と言う言葉の先に、母なる地球の大地を連想してしまう。キョウは、その罪深さを理解しながらも、地球に起源を持つ生命として、その渇望はきっと止められないと感じていた。
「ええと、つまり……。」

キョウはにっこりと笑いかける。
「次の戦い、終わったら退役しましょう。」
意外な提案に、ヘントはちょっと驚いた表情を浮かべたが、すぐにふっと微笑んだ。
「ああ、いいな。2人で、カレーの美味しい喫茶店でもやろうか。」
「いいわね、コーヒーはあなたが淹れる。」
「最初の一杯はいつも君が飲む。」
「うん、最高。」
「日当たりの良い店舗に、多肉植物でも並べて。」
「……好きだっけ?多肉植物。」
「やったことはないが、興味はある。」
何それ、と、キョウはくすくすと笑う。
「だから、ちゃんと、地球を守りましょう。」
キョウは真剣な、しかし、優しい眼差しで言う。

「わたし、あなたと2人で生きていきたい。2人で、大地を、ちゃんと踏みしめながら——。」
【#57 “SHADOW PHANTOMs” / Mar.1.0088 fin.】
MS戦記異聞シャドウファントム
第4部 グリプス動乱編
「ラストダンスはわたしに」・完

ラストダンスは、あなたと——。
「ジン・サナダになど、興味はないっ!
遊ぶのなら、お前たちだけで勝手にやれ!!
どけ!わたしは……
——わたしたちは、
前に進む——
2人で!!」

やられた。
負けたわけではない。
だが、なんだ、この敗北感は——。
キョウ・ミヤギ。
わたしから、愛を、奪おうとする女。
わたしの愛を、否定する女——
許さない。
次は壊してやる。
わたしが——この手で!!

U.C.0087、11月25日。
暗く、冷たいデブリ帯の中、ピンクの閃光が闇を切り裂くと、中から黒いMSが2機、姿を表した。
周辺のデブリより、かなり大きな小惑星に近づくと、2機はその中に入って行った。どうやら小惑星は秘密基地らしい。
小惑星の中のドックに降り立った黒い機体から、紫色のノーマルスーツに身を包んだパイロットが滑り出してきた。華奢なシルエットから、女性だとすぐにわかった。 機体の足許には、赤いノーマルスーツの男が出迎えに来ていた。
小惑星の中のドックに降り立った黒い機体から、紫色のノーマルスーツに身を包んだパイロットが滑り出してきた。華奢なシルエットから、女性だとすぐにわかった。

機体の足許には、赤いノーマルスーツの男が出迎えに来ていた。
「ごめん、ジン!」
機体から降りてきた女——カルア・ヘイズは、出迎えに来ていた男——ジン・サナダに涙声で言うと、思い切り抱きついた。

「アイツら……壊せなかった。やっぱり、わたし1人じゃ、あの時みたいな力は出なかった……!」
いいんだよ、と、ジンはひどく優しい声で囁きながら、カルアの髪を撫でた。
「アイツら、強かったんだ。あの時のわたしたちみたいに……おんなじだよ、アイツらも、2人一緒で強くなれるヤツらだ!」
「ああ、だから、今度は俺も一緒に行くよ。」
それに、と、ジンは酷く優しい声で続ける。
「俺もちょうど、"彼女"と話を終えたところだ。」
腕の中のカルアの、その髪をそっと撫でながらも、ジン・サナダの瞳は冷たく光っていた。
「俺たちには、世界を変える切り札がある。女神がついてるじゃないか。もう、あんな連中にこだわる必要はない。」
