令和六年四月二十五日


四国遍路8日目の記録の続きです。


水井橋を渡って、12:30に太龍寺道を登り始めました。

前半の約1.5kmほどは舗装された山道が続きます。



この道を誤ってバイクで進入してしまった時は雨天後で路面が濡れていて、徐行運転でゆっくり登った事を思い出します。



苔むした石垣を眺めながら進みます。



阿波遍路道の道しるべには、太龍寺まであと3.0kmと記されています。



電柱には「ありがとうございます」と書かれたシールが貼られていました。

へんろ道保存協会の方々へお礼の気持ちを伝えるために、お遍路さんが貼った物でしょうか。



道中に岩穴があったので中を覗いてみましたが、真っ暗で何も見えませんでした。

仏様がお祀りされていそうな雰囲気です。



道幅が狭いので、安全のため右端を歩きます。



石の橋を渡ります。

バイクで来た時は身の危険を感じて押して歩きました。橋の手前で転回出来るので、誤って車両で新入してしまった場合には引き返しやすいポイントです。



ここは歩きでもちょっと怖かったです。

石橋を叩いて渡るかの如く、慎重に進みます。



橋を渡ると、右手に休憩所がありました。



休憩所のそばに建てられている案内板。

若杉山辰砂採掘遺跡から、弥生時代後期〜古墳時代初頭の土器や勾玉等が発見されたそうです。



四国のみちの案内板にも若杉山遺跡の事が書かれていました。



案内板をゆっくり見ていると、二組のお遍路さんが通り過ぎて行きました。



休憩所から先は若杉山谷川沿いの道が続きます。



川の流れる音や、野鳥のさえずりに癒されながら歩く至福のひとときです。



太龍寺まであと2.0km。

左手には丁石があります。



破損していて文字が解り辛いですが、十四丁と刻まれているように見えます。



太龍寺道で二つ目の休憩ポイント。

ここで外国人のお遍路さん2人組が休憩されていました。

鶴林寺からの下りではかなりハイペースで私を追い越して行かれましたが、さすがに疲れが出てきたようです。



「四国八十八ヶ所めぐりがんばってください!」

イラストが書かれたへんろ札に元気付けられました。



正面に小さな案内板らしき物が見えています。



最古の四国遍路道を活かす

〜歴史的遺産の魅力を発進して地域活性化〜


国土交通大臣から手づくり郷土賞を贈られたようです。

令和四年なので、一年半ほど前に立てられたばかりのようですね。



二つ目に見た丁石。

こちらは十七丁と刻まれているように見えます。



まもなく、舗装路の区間は終了です。



太龍寺から1.6km手前の地点からは、階段の山道が続きます。

バイクで来た時はここから先へ進めず絶望し、引き返して結局ロープウェイ乗り場へと向かう事になったのでした。。



階段の道の手前には古い道標が残っています。



少し登った所にある道標には十二丁と刻まれています。



ここからが遍路ころがしの始まりです。

1.6kmとはいえ、延々と階段が続くので、実際の距離以上に長く感じます。



写真だと解り辛いですが、一段がけっこうな高さなので、足腰への負担も大きくかなり体力を消耗します。



登っても登っても続く階段地獄。。



よっこらしょ、どっこいしょ。



嫌というほど階段を延々と登り、自然道の区間に入りました。



こちらの丁石は十九丁と刻まれています。



急勾配の山道がしばらく

続きます。



「佛教の宗派は すべて釈迦から出ている」

すべてはお釈迦さまの説かれた仏法から始まっているという事を思えば、宗派によって多少の悟りや解釈の違いはあったとしても、互いに立て合い、尊重し合う事が大切ではないかと私も考えています。



再び階段地獄の始まりです。。



急勾配のところは階段、緩やかなところは自然の道

が交互に続きます。



ここから先は、船形丁石が一丁間隔で残っているようです。



こちらの丁石には二十一丁と刻まれています。



正面に再び階段が見えてきました。



この日は鶴林寺の登り口から始まり、もう数えきれないくらいの階段を上り下りしています。



鯖大師さんのへんろ札がありました。



鶴林寺〜太龍寺の山越えは、距離は短くても体感的には焼山寺道よりもキツく感じます。



船形丁石があると、100m強の距離がやたらと長く感じるようになってきました。。



二十二丁。

さっきよりも長くなっているので、どうやら太龍寺道の入り口からの距離が刻まれているようです。



あと1.1km。

階段地獄が始まった所からまだ500mしか進んでいません。。



「人生即遍路」

人生は山あり谷あり、まさに遍路そのものですね。



延々と階段を登り続けて、



次の丁石を確認。



二十三丁



つづら折れの道が続きます。



階段は続くよどこまでも。。



「花の経 唱え歩けば 涙こぼるる」

岡道院さんが書かれた札を初めて見ました。



次の丁石は大木のそばに立っていました。



二十四丁。

上部が欠けてしまっています。



四国のみちの道標には「山火事注意」と書かれています。



「花おぼろ お大師誘う 遍路道」

生臭遍路さんのお言葉です。


旅行感覚で区切り打ちを楽しんでいる私も、単なる生臭遍路かもしれません。笑



道が崩れている所には、へんろ道保存協会の方が橋を設置して下さっていました。


この橋、滑ってめちゃくちゃ怖かったです。。

手すりに捕まりながらなんとか渡る事が出来ました。



太龍寺まであと0.7km。



二十五丁の丁石。



この辺りで14時だったので、登り口から2.3kmほど進むのに1時間半もかかっています。



太龍寺と書かれた道しるべのある所から道が緩やかになりました。



しばらく進むと、舗装路の分岐点へ出てきました。



鶴林寺から約6km進んだので、あと少しです。



平等寺への道しるべがあるので、この道を下ると中腹にある駐車場を経て阿瀬比方面へと出られるようです。



かなり古い道標も残っています。



こちらの道標には、「右 太龍寺 五丁」と記されています。



太龍寺まであと0.4km。

急勾配の舗装路を進みます。



少々苔むしているので、雨天時はかなり滑りそうです。



おお!

遂に太龍寺の山門が見えてきました^^



鶴林寺を出発したのが9:50で、太龍寺の山門前に着いたのは14:20、昼食休憩も含めて4時間半ほどかかりました。



とりあえず階段の前で記念撮影。

さすがに疲れは隠せませんが、達成感もあってか、わりと清々しい表情です。笑



阿波の三大遍路ころがしの道を越えて、怪我もなく無事に第二十一番太龍寺へ辿り着く事が出来ました。


「南無大師遍照金剛」

お大師様、ありがとうございます。


この先の記録は、次回の記事でまとめたいと思います。

ご覧いただきありがとうございました。