令和六年四月十一日


四国遍路6日目の記録の続きです。


11時に恩山寺から歩き始め、13時前に立江寺に到着。


阿波の関所寺と言われる立江寺は、邪な心のある者、罪科のある者は、お大師様からお咎めを受け、先に進めないとされています。



山門の金剛力士様は現在修復中のようです。



修復期間中は阿形•吽形像の写真が展示されています。

修復を終えて戻って来られる日が楽しみです。



山門を入ると、すぐ右手に手水場があります。

子安地蔵様の奥のお堂には毘沙門天様がお祀りされています。



立江寺の鐘楼



本堂へお参りさせていただきます。

ご本尊は延命地蔵菩薩様。

「おん かかか びさんまえい そわか」


写真は撮っていませんが、本堂内陣の天井絵は必見です。



次は本堂の向かい側に建つ大師堂へ向かいます。



立江寺大師堂。

「南無大師遍照金剛」


お大師様からのお咎めはなかったので、先に進ませていただく事が出来そうです。

ありがとうございます^^



大師堂のすぐ右手には、立江寺が関所寺と呼ばれる所以となった、お京さんの髪が巻き付いたままの肉付鐘の緒が安置された「黒髪堂」があります。


寺伝によると、この「肉付鐘の緒」は享和3年(1803年)の春に納められたものだそうです。


中を覗くと本当に髪の毛が見えるので、実に生々しい感じです。



修行大師様と多宝塔



霊剣あらたかな白杉大明神



お参りを終えて納経所へ行くと、このお方が真の関守ではないかと思われるような体格の良いお坊さんがいらっしゃいました。


墨書の書き方や納経印の押し方も力強い感じでしたが、お坊さんから納経をいただけるのはありがたい限りです。



次の第二十番鶴林寺までは14kmの道のりです。

午後から立江寺を出発すると間に合わないので、区切れるポイントまで歩く事にしました。



立江川に架かる白鷺橋を渡ります。



別格霊場第三番慈眼寺への案内板がありました。

26.2kmもあるので、歩きだと丸一日かかりそうです。



しばらく阿南小松島線を進みます。



この道も路線バスが通っているので、タイミングが合えば区切りやすいポイントがたくさんあります。

立江西バス停を通過。



右手に立派な石標が見えてきました。



立江寺奥之院、新四国八十八ヶ所入口と刻まれています。

ヤマブキが咲いているという張り紙があって気になりましたが、あまり時間に余裕がないので先を急ぎます。



地元の方に声をかけられ、少し立ち話をしていると1人のお遍路さんが通り過ぎて行きました。



右 へんろみちと刻まれた道標。



真念歩きへんろ道への分岐点があり、先ほどのお遍路さんはしばらく悩んでいましたが、この道を進んで行かれました。


私はバスが通っている道で区切りたいので、そのまま車道を進みます。



道しるべには鶴林寺まで14kmと記されています。



立江中学校前にある道標には15kmと記されていて、1km長くなっています。

あるお遍路情報サイトによると、四国のみちの道標の距離は出鱈目で当てにならない物が多いそうです。笑



小さなお社の立江天神。



神社のすぐ前にバス停があります。



しばらく立江川沿いを歩きます。



右手にガソリンスタンドが見えてきました。



交通量の少ない所にあるガソリンスタンドは廃業している所が多いですが、こちらは営業中でした。



4月上旬ですが、この地域では少し早めの田植えが行われていました。



田園地帯の用水路は立江川から水が引かれているようです。



FUN FARMという名の新しい宿がありました。



真念へんろ道の道しるべ。



道端にひっそりと残る道標。



鶴林寺まで13km。



湯谷バス停前を通過。



広いグラウンドの櫛渕小学校。



校舎は1棟で、生徒数はあまり多くはなさそうです。



右手に大木が見えてきました。



バス停の名称を見て、八幡神社である事が解りました。



幹周8.4m、樹高20m、推定樹齢700年のクスノキのようです。



鳥居の前から八幡神社の神様を遥拝させていただきます。



クスノキのそばには、文学博士「喜田貞吉」さんの銅像が立てられていました。



境内には、大正時代に植えられたフウの木もあります。



櫛渕の名勝と旧跡の案内板。

見どころの多い町のようです。



この辺りでは、青い道しるべシールを多く見かけます。



左手の大きな建物は米原工業さん。



鶴林寺まで12km。

焼山寺道で見た「一歩あるけば一歩近づく」という言葉を思い出します。



凸凹の激しい細い歩道を進みます。



法泉寺前バス停。
真念へんろ道への道しるべと、寿康康寿菴の案内板があります。



「ちょっといっぷくご自由にどうぞ」と書かれていましたが、なんだか入り辛い雰囲気です。。



向かい側にはトイレがあったので、ありがたく利用させていただきます。



真念へんろ道は遠回りになりそうなので、引き続き阿南小松島線を進みます。



歩道は雑草が伸びていて、あまり整美が行き届いていないようです。



鶴林寺まで12km。



緩やかな上り坂に入ります。



歩道がない所では安全のために右側通行。



上り坂の頂点あたりにバス停があります。



立江線の終点「萱原」バス停でした。

こんな山の中にあったんですね。

人が乗り降りしそうな場所ではありませんが、バスが転回するのにはちょうど良いポイントのようです。



萱原バス停を過ぎると下り坂になります。



坂を下ると、交通量の多い阿南勝浦線と合流します。



鶴林寺へはここから右折です。



道しるべシールも右を示しています。

鶴林寺まであと11km。



右 立江地蔵尊と記された古い道標が立っていました。



この道は交通量が多い上に歩道がなく、大型トラックも頻繁に通るので慎重に歩きます。



勝浦町に入りました。



道端に咲くお花さん達に癒されます^^



歩道のある所に出てきました。

しばらくは安心して歩けそうです。



と思ったのも束の間でした。笑



右手に農園らしきスポットが見えてきました。



コンテナ栽培のみかん農園のようで、無人販売所がありました。



収穫の時期は過ぎたようで、実は一つもありません。



自転車・歩行者向けの迂回路案内を確認。



地元のおばあさん2人組が私の姿を見て

「先達さんやわ。随分と足が達者なんやなぁ」

と話をされていました。


恥ずかしながら、完全歩き遍路は今回が初めてなんです。。と心の中でつぶやきながら挨拶させていただきました。笑



迂回路を歩いていると、大将軍と書かれた門のある所へ出てきました。

地図を調べてみると、この先に大将軍神社があるようです。



門を越えてしばらく進むと、再び阿南勝浦線に合流しました。



勝浦町はみかん農園が多いようです。



古民家民泊「ぶんぶく」さんの案内板が立っています。

鶴林寺への上りの前に宿泊する場所としては、ちょっと遠いかもしれません。



反対側の歩道沿いにはお遍路さん休憩所がありました。



外観は綺麗な休憩所ですが、中にはゴミ袋が山積みされていて、とても休憩する気にはなれませんでした。

遍路休憩所をゴミ置き場にするなんて信じられません。


こういう状況を見ると、お遍路に対して快く思っていない人も多いのかなと思ってしまいますね。



生夷神社の案内板。

ゑびっさんが生まれた所と書かれています。



正面に阿南勝浦線と徳島上那賀線の合流地点が見えてきました。



交差点の右角にお祀りされている、沼江不動尊へ手を合わせます。



交差点の左角にはコンビニがあります。

飲料とおにぎりを購入し、イートインで少し休憩させていただきました。



ここから徳島上那賀線を進みます。

この道は徳島バスの勝浦線が走っているので、区切りの良い所まで歩く事にしました。



新しいへんろみちの道標が立てられています。

鶴林寺まで8.8km。



「きちん宿 お鶴」

きちんとしたお宿、という意味でしょうか?



緩やかなアップダウンの道が続きます。



立派な塀に囲まれた小さなお社がありました。

どんな神様がお祀りされているのでしょうか。



勝浦線のバスは2時間に一本、間もなく徳島駅方面へのバスが来る時間だったので、今回はこの辺りで区切る事にしました。



少し離れた場所にある、徳島駅方面の西岡バス停へ向かいます。


バスを待っていると、真念へんろ道へ進まれたお遍路さんがやって来たので手を振って挨拶させていただきました。

やはり真念へんろ道へ進むと少し時間がかかったようです。



ほぼ定刻通りにやって来たバスに乗って徳島駅へ戻り、いつものルートで帰路につきました。


この日の記録は28503歩。

スタートした時間が遅かった事もあって、15kmほどの行脚となりました。



四国遍路の記事は写真が溜まる一方でなかなか更新出来ていないのですが、現在も一〜二週間に一回のペースで歩き続けていますので、この先の道中記も少しずつまとめていきたいと思っています。


今回も大変長い記事になりましたが、ご覧いただきありがとうございました。