令和六年五月九日
久々に西国三十三所の巡礼道を歩いてきました。
いつものように非常に長い記事ですが、徒歩巡礼気分をお楽しみいただければ幸いです。
今回は第十四番「三井寺」から第十五番「今熊野観音寺」まで12kmの道のりです。
京阪三井寺駅から、琵琶湖第一疏水沿いの道を歩いて観音堂へ向かいます。
自動車は一方通行の狭い道ですが、歩行者専用ゾーンがあります。
巡礼道を歩くため、三井寺の山門方面ではなく、観音堂への登り口方面へ進みます。
道中右手にある三井寺別所のお堂は改装されてカフェになっていますが、朝早いのでまだ営業していませんでした。
西国第十四番「三井寺観音堂」と刻まれた石柱の立つ参道を進み、受付で拝観料をお納めします。
特別拝観とのセット券を勧められましたが、先を急ぐので今回は遠慮しておきました。
受付から先は急な石段が続きます。
長い距離を歩いて辿り着いた場合、かなり足にこたえる石段ですが、今回はスタート地点なのでへっちゃらです。
2/3ほど登った所にある地蔵尊へお参りさせていただきます。
「おん かかか びさんまえい そわか」
地蔵堂の左手には、歴史を感じるお地蔵様が並んでいます。
右の三躰は補修されていてかわいらしいお姿です。
階段を登りきると、正面に観音堂があります。
平日の朝一は参拝者も少なく、心静かにお勤めをさせていただきました。
「おん はどま しだまに じばら うん」
観音堂の手水舎。
観音堂の鐘楼では鐘をつく事が出来ます。
鐘楼の内部はこんな感じ。
柱には昔の巡礼者が貼った納め札が残っています。
鐘楼の南側には、百躰観音堂がありますが、現在仏像は金堂に鎮座されているようです。
三井寺の観月舞台。
大津を感じる景観スポット。
美味しいコーヒーとおはぎをいただく事の出来るカフェ「kanon」は営業時間外でした。
こちらのおはぎは、お値段は高めですがとても美味なんですよ^^
観音堂から階段を下り、長等神社の楼門前を通ります。
長等神社前の道を南へ進みます。
しばらく進むと、正面に天満宮の鳥居と道標が見えてきました。
西国巡礼で注目すべきなのは右側の道標で、江戸時代後期のものと言われています。
「右・小関越・三条五条いまくま・京道」
と刻まれています。
案内板には、昭和五十年に大津市の有形民俗文化財に指定されたと書かれていました。
道標に従って、小関峠へと続く舗装路を登ります。
しばらく進むと墓地があり、右手には石仏が立ち並んでおられます。
古の時代から道行く人々を見守って下さっている仏様へ手を合わせます。
墓地の入口には南無阿弥陀仏と刻まれた石柱が立っています。
巡礼道沿いに残る仏様は、地元の方が大切に守って下さっているようです。
小関峠は緩やかな舗装路で、交通量も少ない静かな道です。
時折通る車が、歩行者がいる事に驚いたかのようにエンジンを唸らせながら通り過ぎて行きました。
峠の頂点の少し手前に地蔵堂があります。
堂内のベンチで休憩している方がおられたので、中の様子の撮影は控えておきました。
小坂峠の最高点に着きました。
ここからは左側の狭い道を下ります。
小関越え分岐点の案内板をチェック。
二輪車や、軽自動車がギリギリ通れるくらいの狭い道が続きます。
自転車を押しながら、息を切らせて登って来る方とすれ違いました。
こんな優しい山道の道中で、まさかの倒木に遭遇。
暴風で折れてしまったのでしょうか。
水が流れて沢になっている区間があったので、滑らないよう慎重に下ります。
道中左手に廃棄物処理場があり、施設内から某昭和アイドルの歌が大音量で聞こえてきました。
職員の方が聴いておられたのだと思いますが、古道歩きの雰囲気が台無しです。笑
施設の前におられる仏様は丁寧に管理されているようです。
右手に西大津バイパスの高架橋が見えてきました。
高架下に公衆トイレがあったので、ありがたく利用させていただきます。
分岐点にある地蔵堂へ合唱礼拝。
しばらく住宅街の道を進みます。
ガードレールには西国古道ウォーキングサポートの道しるべが貼られています。
次の分岐点では道しるべをチェックして左折します。
交通量の少ない静かな住宅地ですが、コンビニがあったので飲料水を確保しておきます。
三井寺からの道中には自販機がなかったので助かりました。
三井寺からは7km進んでいます。
徳丸稲荷大明神のある分岐点から右折し、JR琵琶湖線沿いの狭い道を進みます。
木々に隠れて見えませんが、JR線のトンネルは5つあります。
しばらく道なりに進みます。
カーブミラーの道しるべを確認して左へ。
茶戸街の住宅街で見かけた地蔵堂。
藤尾小学校前の分岐点では南西の細い道へ進みます。
次のY字路点では右へ。
用水路に掛かる橋を渡って右へ。
京阪京津線の踏切を横断します。
しばらく道なりに進むと、旧東海道に突き当たります。
以前、友人と東海道を歩いた時に初めて見た「三井寺観音道」の大きな道標のある地点へ辿り着きました。
石の道標としては最大級の規模を誇ります。
旧東海道を歩き、京都市内に入ります。
住宅の塀の中にお祀りされた仏様がおられました。
元々あった場所から動かさないように配慮されたのでしょうね。
旧東海道沿いはコンビニも多いので、飲料水の確保やトイレに困る事がなく安心感があります。
大津から山科への旧東海道では、至る所に「もてなすくん」の風船が飾られています。
友人と東海道を歩いた際にもお参りした「山科地蔵」のお堂が見えてきました。
臨済宗妙心寺派の徳林庵の境内にある地蔵堂です。
「南無地蔵菩薩」とお唱えしながら、お堂の周りを時計回りに歩いてお参りします。
お参りの後、しばらくベンチに座って休憩させていただきました。
お堂の裏側には、可愛らしい六地蔵様がおられます。
歴史を感じる石仏や石塔も残っています。
徳林庵の境内には、元禄十六年の道標があります。
側面には「伏見六地蔵」と刻まれています。
徳林庵から少し進むと、右手に諸羽神社の鳥居がありました。
旧東海道沿いには、たくさんの仏様がお祀りされています。
住宅の軒下にあるお堂や、建物と一体となったお堂も見かけました。
山科駅前の交差点を通過し、引き続き西へ進みます。
旧東海道と刻まれた道標が立っています。
旧東海道沿いは道標や常夜灯など、見どころが多くて実に楽しいです^^
石灯籠ともてなすくんのミスマッチな組み合わせ。
山科駅から約1.5km進んだ所の分岐点には、五条分かれの道標があります。
「左ハ五条橋」
「にし・六条大仏」
「ひがし・今ぐまきよ水」
と刻まれています。
「右ハ三条通」
宝永四年、1707年の古い道標ですが、文字は新しいので補修されているようです。
五条分かれの道標を見て南へ進み、京都薬科大学の前を通ります。
五条別れの交差点から、さらに南へ進みます。
次の分岐点の右角に道標、駐車場の敷地内に道標があります。
「すぐ 大つ道」
西側には「いまくまのみち」と刻まれています。
道標のある分岐点を右折してしばらく進むと、真宗大谷派「光久寺」があります。
住宅街の静かな道を西へ進みます。
左手にある寺院らしき建物は、北部町内公会堂でした。
お堂の内部には、京都市登録有形文化財の毘沙門天像がお祀りされているようです。
扉が閉ざされていて拝観は出来ませんでしたが、公開される事は有るのでしょうか。
機会があればぜひ御姿を拝ませていただきたいものです。
大谷専修学院の宿舎の前を通ります。
住宅の敷地内にお祀りされている仏様。
渋谷川田道の交差点を直進します。
次の分岐点に番外札所「元慶寺」の立て看板があるので右折します。
正面には元慶寺の山門が見えています。
元慶寺の山門前に到着です。
三井寺観音堂を9:40に出発し、この時点で12:30だったので約三時間かかりました。
途中で道を間違って引き返したり、休憩も取ったのでかなりのスローペースです。
山門前に建っている元慶寺の案内板。
山門の内部には昔の巡礼者が貼り付けた納め札がたくさん残っています。
山門の両脇の梵天様と帝釈天様は京都博物館へ出陳中のため、写真が展示されています。
左手に帝釈天様、右手に梵天様が配置されています。
よく手入れされた、緑が美しい参道を進みます。
左手には、花山法皇のご剃髪が埋められた岩石があります。
花山法皇は19歳で出家され、元慶寺で二年間過ごされました。
本堂の右手前にある手水場でお清めさせていただきます。
元慶寺の本堂。
ご本尊は薬師如来様です。
花山法皇の御名号もお唱えし、お勤めをさせていただきます。
「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
「南無花山法皇」
お参りを終えて納経所へ向かうと、職員さんから激励のお言葉を頂戴しました。
ありがとうございます。
元慶寺から渋谷川田道の交差点へ戻り、南へ向かいます。
国道一号線を横断して、新幹線の高架下を通過します。
風情のある住宅街をしばらく進みます。
集合住宅の角に道標が建っている分岐点で右折します。
こちらの道標には、
「右 いまくま くはんをん道 十八丁」
と刻まれています。
右側には、
「すく御坊道」と刻まれていて、山科本願寺を案内しているようです。
一車線幅の小路を進みます。
川田の五差路の左手にある、民家の庭園樹の下にも道標があります。
風化していて見えにくいですが、正面には
「いまくまのくはんおんみち」
と刻まれています。
道標を確認して、住宅街の坂道を直進します。
左折して、二車線道路を南へ進みます。
この道は京阪バスの山科線が通っています。
公共交通機関で巡礼する場合は、第十一番醍醐寺をお参りした後、バスで山科方面へアクセスして元慶寺へ向かうと効率が良さそうです。
西野山百々の交差点を右折します。
しばらく直進すると、汰石越の道に入ります。
急カーブの上り坂が続きます。
この道は、かつては「瓦坂」と呼ばれていたそうです。
右手に八幡宮の石柱が見えてきました。
参道の入口にチェーンが張られていますが、立ち入り禁止なのでしょうか。
カーブミラーの道しるべシールをチェック。
少しずつ標高が上がって山科の街並みを眺める事が出来ましたが、住宅が密集しすぎていてあまり美しいとは言えません。笑
昔はこの道が直接今熊野観音道へ繋がっていたそうです。
悪天候時は通行止めとなる区間もあります。
カーブミラー越しに自撮り。
落石注意の標識があり、道幅がかなり狭くなってきました。
峠の最高点に着きました。
ここから先の道は滑石街道という名称のようです。
右手には立入禁止となっている謎の施設がありました。
住宅地の途中で消滅してしまっていた本来の巡礼道は、こちらへ繋がっていたと言われています。
次の分岐点からは左の道へ進みます。
この先は歩行者しか通れない道です。
道しるべシールが貼られているので、先へ進んでも問題なさそうです。
自然のトンネルが続く道を下ります。
右手にはゲートボール場と思われる広場がありました。
峠道を下り終えると、東山の住宅地に入ります。
東山トレイルの道しるべのある分岐点から左折します。
以前、今熊野観音寺からスタートして京都の札所を徒歩巡礼した時は逆方向に歩いて来たので、この区間は打ち戻しとなるようです。
一の橋川に掛かる円通寺橋を渡ります。
急勾配の坂道を登ります。
中央の階段を登ると楽々です。
予約制で人気の蕎麦屋さん、やっぱり気になります。
霊園の前を通過すると、今熊野橋が見えてきました。
橋の下を通過します。
三井寺から約5時間かけて歩き、ようやくここまで辿り着きました。
今熊野橋を渡って参道を進みます。
第十五番「今熊野観音寺」に到着。
一礼して境内へ入らせていただきます。
門の右手には、以前の記事にも掲載した古い道しるべがあります。
まずは子守り大師様へご挨拶。
お大師様が「よく来たな」と微笑んでおられるかのように感じました。
「南無大師遍照金剛」とお唱えしながら、時計回りに歩いてお参りさせていただきます。
今熊野観音寺の鐘楼では、鐘をつくことは出来ません。
本堂へお参りの前に五智水をいただきます。
午前中の三井寺では曇り空でしたが、今熊野観音寺では見事な青空が広がっていました。
堂内で入って正座し、心静かにお勤めをさせていただきます。
「おん まか きゃろにきゃ そわか」
大師堂の前には、ぼけ封じの観音様がお祀りされています。
熊野大権現と、稲荷社もお参りさせていただきました。
無事に三井寺〜今熊野観音寺間の徒歩巡礼を達成し、疲れを癒すためにいつものように糖分チャージ。笑
帰りは泉涌寺道を歩いて、東福寺駅へ向かいます。
公共交通機関でアクセスする時にはいつも通る、泉涌寺道の交差点。
東福寺駅に着いたのは15:30でした。
帰りは京阪のプレミアムカーに乗車。
快適な車内でゆっくりと寛ぐ至福の時間。
そして最後の〆は、大阪駅構内の「からふね屋」でフライドポテトカレー。
このジャンキーさがたまりません。笑
今回の記録は、29853歩でした。
西国三十三所の徒歩巡礼は、これで第十四番〜第十九番の巡礼道が一つに繋がりました。
三井寺〜今熊野観音寺への区間では二つの峠越えがありますが、優しい道なので気軽にウォーキング感覚でチャレンジ出来て、古い道標も多く残っているので、実に楽しく歩く事が出来ました。
道中無事にお導き下さったお大師様、仏様、神様へ感謝申し上げます。
大変長い記事になりましたが、ご覧いただきありがとうございました。