令和六年四月十一日
四国遍路六日目の記録です。
この日は朝一の高速バスに乗って徳島へ向かいました。
徳島駅到着後、恩山寺方面行きのバスの発車時刻まで約1時間待ちだったので、駅地下のロッテリアでしっかりエネルギーチャージしておきます。
12番乗り場から、9:30発の萱原行きに乗車。
同じバスに乗ったお遍路さんは4人で、うち2人が先達でした。
10:14 恩山寺前に到着。
ここで降りたのは三人で、皆それぞれ自分のペースで歩き始めました。
恩山寺までは緩やかな坂道が続きます。
恩山寺を示す新旧の道しるべが並んで建っています。
「民宿ちば」さんの前を通ります。
バス停から恩山寺までは約1kmです。
恩山寺谷川に掛かる一つ目の橋を渡ります。
二つ目の橋が見えてきました。
橋を渡ると、右手に山門があります。
正面には、お大師様のお手植えと伝わるビランジュの木が立っています。
一礼して、山門を通らせていただきます。
金剛力士様を隙間から覗いて撮影してみました。
「おい小僧!写真なんぞ撮るな!」と怒っておられるかのような恐ろしいお顔です。
吽形の金剛力士様もご立派でした。
山門を過ぎると、車道と歩き遍路道に分かれます。
昔ながらの歩き遍路道を進みます。
前日が雨天だったので、少しぬかるんでいる所がありました。
道中右手におられる、お不動様へ合掌礼拝。
やや急勾配の坂道です。
道幅が狭く危険な所はガードレールが建てられています。
ここから少し階段を登ります。
地蔵堂のそばには古い丁石が残っていました。
地蔵堂へお参りしているうちに、後ろを歩いていたお遍路さんが通り過ぎて行きました。
四国十八番恩山寺と刻まれた道標。
「頑張りましょう」と書かれた立札があります。
東洋大師さんが立ててくださった、梵字の書かれた札を初めて見ました。
写真を撮りながらのんびり歩いているうちに、もう1人のお遍路さんが追い抜いて行きました。
坂の上にはお大師様の後姿が見えています。
坂を登りきる少し手前に、左を示す道標があります。
恩山寺の本堂はこの先を進んで右ですが、次の札所への道案内でしょうか。
立派な修行大師様の像へ手を合わせます。
「南無大師遍照金剛」
「弘法大師御母公 玉依御前ゆかりのお寺」
と刻まれた石柱が建っています。
寺標の前で一礼し、参道を進みます。
正面の階段を登った所に本堂、左手に大師堂があります。
手水舎でお清めをして、鐘楼で鐘をつかせていただきます。
本堂への階段沿いには、石仏やお墓が立ち並んでいます。
右手には水子地蔵様がお祀りされています。
恩山寺のご本尊は薬師如来様。
「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
続いて大師堂へ。
「南無大師遍照金剛」
お大師様、今日も一日よろしくお願いします!
大師堂の手前には御母公堂が建てられています。
お大師様の母上様がこの地で出家・剃髪され、その髪を奉納された事から、「玉依御前の剃髪所」と言われたそうです。
こちらの横長のお堂は地蔵堂で、左側にお釈迦様の十大弟子像が、右に地蔵菩薩像と千体地蔵立像がお祀りされています。
優しいお顔立ちのお地蔵様です。
恩山寺のお参りを終え、お手洗いをお借りするために駐車場方面へ下ります。
駐車場まで、急勾配の舗装路を下ります。
トイレから、突然女性の大きな悲鳴が聞こえてきてびっくりしました。
大きなムカデかクモでも出たんでしょうか。。
お手洗いを済ませ、次は第十九番「立江寺」へ向かいます。
カーブミラーでいつものように自撮り。
しばらく車道を下ります。
四月上旬なので、桜の花はまだ少し残っていました。
カーブミラーの道しるべをチェックして、歩き遍路道へ進みます。
うんしゅうみかんの無人販売所がありました。
一袋100円は安い!
でも荷物が重くなるので買うのは遠慮しておきます。
牛舎の前を通って、歩き遍路道へ進みます。
ここから先は竹林を切り通して作られた遍路道です。
実に雰囲気の良い遍路道です^^
歩いた記念に自撮りしておきました。笑
しばらくアップダウンが続きます。
石仏の周りに石がたくさん積み上げられている所がありました。
仏様へ合掌礼拝。
この道は「弦巻坂(つるまきざか)」と呼ばれているそうです。
所々でタケノコが頭を出していました。
坂の上に道しるべが見えてきました。
突き当たりを右へ進みます。
古い道標も建っていました。
ここから先は緩やかな下り道が続きます。
次の分岐点では左へ進みます。
四国のみちの道標と、義経ドリームロードの札が立っている分岐点からは右へ進みます。
次は突き当たりを左へ。
その次の分岐点では右へ。
道しるべがないと迷ってしまいそうです。
竹林の道を抜けて、正面に舗装路が見えてきました。
舗装路へ出たら、斜め右へ進みます。
しばらく舗装路を下ります。
U字のヘアピンカーブの所もあります。
降水量が多いと沢になりそうな所もありました。
青空と緑のコントラストが美しくて癒されます^^
左に立っている道しるべには、左へ100m先へんろ道と書かれています。
電柱には道しるべシールも貼られていますが、道案内が直接手書きされていました。
ありがとうございます^^
弦巻坂の次は「弦張坂」の案内板がありました。
「弘法大師おむつき堂」と書かれた立札の先にある「釈迦庵」へお参りさせていただきます。
このお堂は恩山寺の年老いた僧侶が生活した庵とも言われていて、以前はお大師様がむつき(おむつ)を納めたとされる「むつき堂」があり、仏足石周辺に生えていた柴は子供の夜泣きがおさまるとして、四国巡礼のお土産として有名だったそうです。
こちらの仏足石は、徳島県内では最古のものだそうです。
釈迦庵から先は突き当たりを左へ。
しばらく道なりに進みます。
民家の敷地に立つ桜の木も、まだほんの少し花が残っていました。
道しるべをチェックして、舗装路から農道へ入ります。
立江寺まであと3.2km。
遍路道は地元の方々の生活道路を通らせていただく区間が数多くあります。
私の場合、このような農道を歩く機会は巡礼の時くらいしかありません。
要所には新旧の道しるべが建っています。
分岐点が多いので、道しるべがなければ迷ってしまいそうです。
人知れず黙々と歩き続けます。
用水路に掛かる橋の手前に道しるべが見えてきました。
橋を渡って、民家の間の細い道を通ります。
道なりに進むと、舗装路へ合流します。
道しるべを確認し、右へ進みます。
宮倉徳島線を道なりに進みます。
田野白砂バス停前を通過。
左手に常夜灯が見えてきました。
補修された形跡がありますが、かなり古い物のようです。
立江寺まであと2.5km。
「小松島に生きる」
と書かれたのぼり旗が立てられていました。
地域おこしのためでしょうか。
分岐点がありますが、引き続き宮倉徳島線を進みます。
天王谷バス停を通過。
立江寺まで2.0km。
山裾の道に入ります。
右手に石柱が見えてきました。
一部文字が風化していて読めませんが、◯◯山大権現と刻まれています。
合掌礼拝させていただきます。
交通量は少ないですが、車はかなりのスピードで通り過ぎて行きます。
歩道のない区間がずっと続くので、車の動きに警戒しながら進みます。
立江寺まで1.3km。
あとひといきです。
田中山バス停の前には地蔵堂があります。
左手に立江寺を示す古い道しるべが建っていました。
阿南小松島線との合流地点の少し手前で、大きな石標と独特の形をした建物が見えてきました。
「お京塚」と刻まれた石柱の横には、遍路小屋の札が建てられています。
合掌の手を表現した屋根の形が特徴の遍路休憩所です。
恩山寺への歩き遍路道でお会いした方が休憩されていたので、しばらくお話をさせていただきました。
恩山寺で私のお勤めの声を聞いて、お経って音楽だなと感じたそうです。
西国の札所のような一般の観光客が多い寺院だと周りの迷惑にならないように気を遣いますが、お遍路では読経をするのが当たり前だし、大きな声でのびのびとお勤め出来るのが良いんですよね^^
こちらにはヘンロ小屋ノートが置かれています。
書き込みして記念撮影。
まだまだ余裕の表情です。笑
さっき休憩所で会ったお遍路さんが、この先で地元の方と立ち話をされていました。
後から伺ってみると、ある新興宗教の熱心な信者の方で「お遍路なんてやめなさい」と説得されていたそうです。
道中ではいろんな方との出会いがありますが、様々な妨害を乗り越えながら心倒さずに歩くのも一つの修行であり、お大師様から与えられる試練なのではないかと思います。
立江寺まで0.7km。
正面に見える民家の前にも案内板が建っています。
真念へんろ道を歩くと立江寺まで1800メートルのようです。
かなり遠回りになってしまうので、この道を進むのは止めておきました。
立江寺まで0.6km。
立江川に架かる平成橋を渡ります。
橋を渡ると阿南小松島線に合流します。
右手に見える赤い橋は「白鷺橋」で、立江寺を打った後に渡ります。
立江寺の案内標識を見て、先の交差点で左折します。
商店街の先に立江寺の本堂が見えています。
突き当たりを右折します。
通用口から境内へ入る事も出来ますが、迂回して山門へ向かいます。
第十九番「立江寺」に到着です。
恩山寺から立江寺までは4kmほどの道のりですが、とても雰囲気の良い遍路道だった事もあって、かなり多くの写真を撮っていました。
この先の記録は次回へ続きます。
今回も大変長い記事になりましたが、ご覧いただきありがとうございました。