未熟な人間であり未熟な母、そんな私だったけれど、

娘は私のことを毎日大好きでくれていた。


どんなに苦しくても、娘を傷つけてしまっても、

時間は流れていくし、育児はやめることは出来ない。


それでも、この子はどこか他の場所で

暮らした方が幸せになれるんじゃないか?

私なんかの子どもでいても苦しめてるだけ…


この子はしなくていい苦労をして、

知らなくていい感情を覚えて…。

一緒に死のうかと思ったこともあった。


だけど、私は娘と一緒に居たかった。

娘と離れるなんて耐えられないと思った。


娘は幸せになるために生まれてきた。

絶対に、絶対に幸せにしなきゃいけない。


その為には前を向かなきゃ。頑張らなきゃ。

少しずつ気持ちを立て直していった。


そして、娘は年長さんになった。

園の行事では毎年涙ぐんでた私だったが、

最後の運動会では涙が止まらなかった。


小さい体で、応援団副団長になり、

団長の男の子と一生懸命大きな声を出し、

園庭を駆け抜け、演技をして。


種目の看板を持ち園庭を一周する背中は

ピンっと伸びていて顔はとても凛々しい。


あぁ、私ろくな母親じゃないのに

この子はとても立派に育っている。


胸を張って、自信もって歩いている。

まだ5歳だけれど、自分の力でそこに立っている。


すごいなぁ。私よりも立派に、

この子はしっかり生きているんだ。


娘がものすごくカッコよく見えた。

そして運動会も終わり、卒園までもう少し。


この頃喧嘩はするが手をあげてしまうこともなく、

おでかけしたり、一緒にプリンを作ったり

お笑い番組を見て2人でゲラゲラと笑い、

笑いが止まらなくなりそれがまた面白くて笑ったり。


毎日腕枕して寝る時間は本当に幸せで、

休日にお昼寝して気づいたら夜18時、

「えっ!もうちびまる子の時間!!」と

飛び起きてそのまま夜寝れなくなっちゃったり。


慌ただしくも楽しい日々を送っていた。


そして仕事での収入も増え、県の基準額と

同じくらいの稼ぎを得られるようになっていた。


保護を抜けたいと、CWさんに相談したが

しっかりと基準額を超えた収入を維持していること、

それが最低半年程は続かないと抜けることは

認められないんだよ、と言われた。


何故かというと、簡単に抜けてしまうと

収入が崩れた時にまた受給者に戻ってしまうから。

更に受給する際は、一からの審査になる。


もう保護受給者に戻ってくることなく自立させるのがCWの

仕事でもあるから、現段階ではまだ抜けられないと。


その為、月3千円~1万いかない程度の

保護を受けながら生活を続けるしかなかった。


頑張ってきて、収入が増えたのに抜けられない。

5年も保護を受けてきて、私はまだ国の力を

借りないと生きていけないなんて。


これで、私が育ててるって言えるのか?

不正受給が日々繰り返しニュースになり

世間からはずっと冷たい目で見られている。


目の前が明るくなったと思ったら真っ暗になって。

自分のメンタルの弱さ、鬱だったことを考えると

これ以上の収入を増やす道として正社員になるのは

私にとって本当に本当に不安で、怖くて勇気がいる事。


これではずっと抜けられないかもしれない…

このことは、頭の隅でずっとモヤモヤとしていた。


それでも季節は過ぎていく。保育園も卒園。

園、先生に本当に恵まれ、友達もたくさん出来て

素晴らしい5年間を過ごさせてもらった。


2018年春、娘はとうとう小学1年生に。