※ここから、批判されるような内容が続きますが

どうか優しい目で読んで頂けたら有難いです。

すごく反省しています。現在、娘とはとても仲良しです。



娘と2人暮らしを始めて3年半が経った頃。

この時娘は4歳、私は24歳だった。

 

仕事は変わらず頑張って続け信頼もついてきて、

生活も、保育園も順調に進んでいた。


朝の挨拶やお迎え時に少し談笑出来るような

ママ友も出来ていたし、娘も園が大好きだった。

 

ただ、精神的には不安定な日々だった。


・仕事を頑張っていても、保護を抜ける見通しが立たない

・園の行事があると、片親なんだと改めて感じさせられる

・両親揃ってお出かけしてる家族が羨ましい&娘に申し訳ない

・自分の病院にかかる時に保護受給証を提示する恥ずかしさ

保護受給者と分かった途端に態度が変わる。


なんかの時に母親に、

「あんたは保護で生活が守られてるんだから」

「仕事休んでもお金の不安なくていいじゃん羨ましいわ」

そう言われたこと、


ママ友に母子家庭なことを話した時

「えーすごい!えらいよ!私には絶対無理!!」

そう言われたこと。褒めてくれたんだろうけど、

私だって、本当は無理なんだよ…、って思ったこと。


10代でずっと抱えてきた苦しさに蓋をしていたが、

その蓋の上に、更にこの行き場のない感情が積もり

爆発寸前でいつも過ごしていたんだと思う。


当時4歳の娘は自我が強い方で、言うことを聞かず

話しも聞かずな時期でもあったのだけれど

反抗して言い返してくるのではなく、

睨む訳ではないがジーッと見てくるタイプだった。


その目が、その視線が当時の私はすごく苦痛だった。

私の弱さやダメさを見透かされてるような視線に

どうしても責められてるような気になった。


"わたしからお父さんを奪った"

"普通の家に生まれたかった"

"こんなお母さん恥ずかしい"

"なんにも出来ないくせに、クズのくせに"


そんな風に言われてるように感じていた。

4歳の娘がそんなこと思う訳ないのにね。

ただただ母親である私の愛を求めてただけなのに。


それでもそのぐらい私は心がやられていた。


情けない、恥ずかしい、悔しい、辛い、

娘にもこんな母親で申し訳ない、という気持ちが


なんで私ばかりこんな目に、こんな辛い思いを、

他の家庭と同じように人を好きになって愛して、

夫婦になって家族になっていきたかっただけなのに。

なんで、なんで、なんで、なんで…!!!


そんな風に変わっていった。

誰にも話せなくて、話せる相手がいなくて、

ずっと、ずっと自分の中に溜めていって、押し込んで。


ギリギリでいつもいたけれど、

そのギリギリが、娘の視線や自我に負けてしまった。


娘に、泣きながら手をあげてしまった。

それは一度ではなく、何度かあった。


それは、娘に対する怒りではなく、

周りに対する、怒り、悔しさ、

助けてもらえない(もらえなかった)辛さ、

何より、クズな自分への苛立ちからだった。


そう、完全に娘への八つ当たり。


娘の自我、反抗が起きた瞬間を理由にして、

自分の感情を押し込めきれず爆発したのだ。


別の日は、娘の泣き声に頭がおかしくなりそうで

手が出てしまいそうで、それでもダメだダメだと

玄関の外に出て大泣きした夜もあった。


本当に、最低な母親だった。