年末年始、私は母の元へ帰った。

この時妊娠7~8ヶ月頃。


母はお腹大きくなったね~とお腹を撫でて

私を優しく受け入れてくれた。


泊まってる間、Yくんの話を全てした。


母は、最初はうんうんと聞いてくれていたが


「ママは最初からYを良く思ってなかった」

「まだまだガキじゃん無理だよって言ってのに」

「それでもママの意見聞かず押しきって決めたんじゃん」

「お母さんになれるの?そんなんで」


途中からそんな風に言い始めた母。


私は気づいたら泣いていた。


「…あんたは何て言ってほしいわけ?」

そう問う母に私は何も返す言葉がなかった。


わからない。どうしたらいいのか。

何て言ったらいいか、何て言ってほしいか、

全部が分からなくなっていた。


お母さんになるのに"わからない"だなんて

きっと許されないのだろうけど。


「…分かった。もう帰るね、」時間は夜23時。


"こんな時間に妊婦を1人で外に出せる訳ないでしょ、

だったらママが外に行くから。"と母。


「なんで!ダメ!ママの家なんだから

ママはここにいて!何かあったら危ないから…」


"危ないのはあんたでしょうが。

もういいから今日は寝なさい。"


「寝てる間にママ外行くでしょ…」


"はぁ…行かないから。大丈夫だから早く寝ろ"


私はベッドに横たわる。涙は止まってくれない。


この時のことを思い出すと、胸が苦しい。


何だろうな。20歳なのに、お母さんになるのに、

私の心はずっと小学4年生の頃のままで。


心で"ママ、ママ、ママ、助けてよ…"と

ずっと叫んでる幼い自分がいる気がする。


苦しさ辛さを、無理矢理心の奥にしまいこんで

鍵をかけたからだろうか。成長出来ていない。

当時の私は、なんだかすごく幼い。


そして、いろんなことがあったけれど

やっぱり、やっぱり私は母が大好きで。


母に何かあったら?車にひかれたら?

私の代わりに外にでて刺されでもしたら?

そしたら、そしたら私……


幼児がお母さんの心配をするような。

そんな思いで母を引き留めていたな。


Yくんとの今後の相談をしたはずなのに、

ベッドで横たわる私の頭の中は

"母との関係性"でいっぱいだった気がする。


翌日も、Yくんの話の続きはしないまま過ごした。


お正月は祖母の家に行ったりもした。

Yとの状況を何も知らない祖母は、

「楽しみだねぇ、元気な子だといいねぇ」と

ニコニコとお腹を撫でてくれた。


何も知らないからこその穏やかな表情と

優しい声、優しい手が、ただただ嬉しかった。


自宅に帰る日、母は食べ物をいろいろくれた。

"帰ったらYとちゃんと話しな。また、連絡して"と。


そして、忘れもしない2012年1月5日。

この日、Yくんと私の関係は壊れることになる。