実家終い① | 日記

日記

日々の徒然

母はここ30年ほどマンションに1人住まいだった。

両親は不仲だったので、30年前に私が海外移住することをきっかけに一軒家を売り払い、それぞれにマンションを購入して別居した。熟年離婚ならぬ熟年別居である。当時「高齢者は田舎より便利な都会へ住んだほうが良い」とTVで盛んに言われていたので再出発の新居は都心の便利な場所を選んだ。しかも私がいない30年で街の商業開発が進み、地下鉄は別路線と直通で繋がった。さらに大江戸線などの新しい地下鉄も登場して益々便利になった。最近は「失われた30年」などとよく耳にするが、東京の経済成長は止まっていないように思える。物価はある程度の上昇で収まっているし、世に出る商品の品質は信用に値する。加えて人々がルールを守ろうとすることで社会は予定通りにことが進み、円滑に回っている。日本はやはり民度の高い素晴らしい国だと思う。話がそれてしまった・・

 

母は亡くなる前、1年ほど病院に入院していた。なので部屋は空き家で放置されていた感はあったものの、部屋自体は綺麗に片付けがされていた。実は13年前に私が一時帰国した際に2週間どこへも出かけずにひたすら断捨離を手伝ったことがある。当時母の住まいは今にもゴミ屋敷化する様相を見せていたのだが、幸いにも母はそれ以来部屋が片付いた快適さに目覚め、ずっと物を減らしながら暮らしてくれた。すっきり片付いていた母の部屋にはお気に入りの品がそこここに配置された母らしい楽しい生活が見て取れ、嬉しくて涙が出た。

 

どこを開けても昔の人間らしく、大事なものは大切に扱われていた様子がそこかしこに見てとれる。これを全て私が処分するのかと思ったらやはり怖気付いた。母の全てをまるで無かったことにするのだ。人は死んだら本当にこの世から消え去るということを改めて目の当たりにして、今度はとても悲しい涙が出た。

 

しかしながら感傷に浸っている場合ではない。私は3週間の滞在期間内にここをなんとかしなければいけない使命がある。母と姉はしばらく折り合いが良く無かったこともあり、母からは「自分が逝ったらあなたが全ての片付けをして欲しい。迷惑かけるけどこれだけはお願いしたい」と何度も念を押されていたのだ。

 

1日だけ母の丁寧な暮らしの中で過ごすことにした。

明日から頑張れば、良い。