私のお弁当 | 松花堂弁当の様なブログ

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色んな要素が入ったお弁当の様なブログ。

お弁当を作りはじめて 約23年。

長女が幼稚園に入ってスタートした

毎日毎日のお弁当作りは

けして、楽しいものではなく

晩御飯の残り物を詰める という

ありきたりなアドバイスにも

五人家族で お弁当も毎日3~5個必須
(小学校も給食なしだったので)

の我が家には 残り物ってなんですか?

それどころか、晩御飯より品数が多い

弁当は 何より労力の使うものでした。

冷凍食品でレンジでチンは使わない、とか
(自分で作って冷凍していた)

そんな拘りもあったし、
(いや、冷凍食品人数分は高くつく)

お金渡して 学校でパンでも買って

というのも、何だか悪いことの様な気がして

年に数回あるかないか。
(いや、子ども3人分のパン代は高くつく)

「茶色いお弁当いやや」と

言われた記憶も頭のどこかに残っていて

けして、楽しいものではなかった。

それが、子ども達が 高校生くらいに

なったころかなぁ。

「うちのお弁当 皆 美味しそうって言う。」

「きれい~~って言うてる」

と、娘達の友達が お弁当を

誉めてくれる情報が耳に入るようになった。

あ~~後にはひけないわ(笑)

このクオリティを守り続けるのよ。

と、プレッシャーと誉められる喜びとの

絶妙なバランスを保ちつつ

弁当を作り続けた。

いまは、子ども達も大きくなって独立し

弁当は旦那の為だけに作っている。

だから、めんどくさいときは作らない。
(何が だから なのか わからない(笑))

昨年 癌を患い 抗がん剤の副作用で

動けないとき、心をよぎるのは

「私にも出来ること、私にも出来ること」

だった。

何も出来ない事を 仕方がないと

思えたら楽なのだろうが

そんなときに限って

「私にも出来ること」に拘り

アピールしたくなる。

出来ないから 「出来る」という

表現に拘ったのかも。

副作用の合間をぬって、

キッチンにイスを持ってきて

5分毎に ハァハァ言いながら

材料を切って 炒めて 詰めた。

出来上がりに 嬉しくて泣いた。

家族は、、、止めなかったのよ。

「しんどかったら やめとき」

とか、言わんかったのよ。

それはね、後からわかってん。

私が思ったことやけどね。

私は 「出来ること、出来ること」

と、思ってやっていたけれど、

家族にとっては

「お母さんが したいこと。」

って受け止めてくれてたからやって。

出来る ってわざわざアピールしなくても

何も動けてない って悲観しなくても、

ちゃんと 私は私だって、

家族は知ってたんだ。

お弁当は 私にとって したいこと。

だから、作る。

だから、作りたくないときは作らない。

そんな、お弁当を インスタやブログに

投稿するようになって

今までは 自己満足のお弁当だったけれど

少しずつ 進化させようかなと

思います。

レシピとか、
質問コーナーとか、

あっ、このお弁当で質問を頂いたので

いつか、お返事したいと思います。
(材料買ったらね(笑))



インスタは 私の美術館です。