「不安」と安らぎをめぐる原初的な対人関係  | いきいきるんるん♪ 微笑み返し

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「不安」と安らぎをめぐる原初的な対人関係 ≪続きを読む≫

10月27日(水) 12:00 提供:ALL REVIEWS

 

『精神医学は対人関係論である』(みすず書房)著者:H・S・サリヴァン
 ……
著者がいちばん重きをおき、大事な基本概念にしているのは「不安」だといえる。

 

これは人間のいちばん早い時期にきわめて不快な体験としてあらわれるもので、この体験に耐えることが、人間として生きることだといってもいいくらいのものだと解釈されている。

 

ではこのひどい「不安」は誰から与えられるかといえば、乳幼児のとき、まだ単独では生きることも育つこともできない折に対人関係を結んだ重要人物―母親または母親役の感情の乱れ、「不安」から転移される。

 

自分が与りしらず、意識もしないのに、原初的な不安や原初的な恐怖はこの母親役から衝撃のように与えられ、この体験は後年に分裂病の障害現象になって再び出現する。

 

この原初的な「不安」は「不気味感」、「畏怖感」、「圧倒恐怖」、「戦慄恐怖」、「嫌悪恐怖」といったさまざまな陰影をもってあらわれてくる。

 

サリヴァンによればこれらの恐怖や不気味さの雰囲気を何とかして回避したい、最小にしたいために人間がとる行いが、生の技術といっていいもので、治療した方がいいとされているものは、そんな悪いものではないと見做すのが妥当だ。

 

つまり症状を治そうとするよりも「不安」にたいして脆弱をあらわす箇所を探ることの方が大切なことなのだ。

サリヴァンは独特の概念でこの原初的「不安」やさまざまなそのあらわれである恐怖の体験に枠組と境界を与える。

 

ひとつは「絶対の愉楽」で、不安がまったくない安らぎの状態、その対極にあるのが「絶対的緊張」で、驚愕恐怖に近い状態で、わたしたちの心の状態はこの両極の中間にある。

 

早速この概念をつかってみると、乳幼児に欲求のため緊張がうまれると、その対人的な重要人物である母親にはこの乳幼児の緊張をやわらげるための「やさしさ」の緊張があらわれる。

これを元型的には「やさしさ」の定義としてもいいくらいだ。

 

また逆に母親役のなかに「不安」による緊張があると、乳幼児のなかに「不安」が誘発される。

これは鎮静されなければ恐怖をうみだすし、欲求もまた抑圧される。

乳幼児はこの「不安」と欲求の抑圧の状態を母親役から繰返し与えられると、それに対抗し、「不安」な覚醒状態を回避するために、無感情や無感動の状態を身につけるようになる。

 

またひとりでに睡眠状態へ移ること(泣き寝入り)によって耐えるようになる。

……

サリヴァンの乳幼児の対人関係でなお重要だとおもわれるのは、肛門、糞便、会陰部、外性器に触れてから手を口へもってゆくことにたいする習俗、文化、教育体制、病的清潔感などに由来する母親役のつよい不安と禁止欲求が、乳幼児に与える強力な不安のようなものがある。

 

また児童期における親友の出現の意義、前青春期の対人関係としての「二人組」の関係の意味、この関係がうまくつくれなかったために、自分以外の同性との協同の場面で、たえず緊張を強いられ、夜間の睡眠がとれなくなる精神の障害など、サリヴァン以外のものから記述されれば、社会(対人)心理学になってしまう概念が、精神医学の領分に深くふみとどまっている。

 

それはどうしてかといえば、サリヴァンによって、個人の発達史のなかで、その個人にまったく属さないにもかかわらず、その個人が強い「不安」や恐怖を与えられ、場合によっては睡眠中の悪夢となって繰返しその個人を襲い、しかも覚醒したあとにも悪夢のつづきのなかに在って、そこを脱出できないような振舞いや言動を呈することがあり、これを人々が分裂病と見做しているとしても、この過程が、「自分でないもの」という不安要因の自然成長史としてたどることができることが、臨床体験とその理論化の過程で強固にサリヴァンによって確信されているからだとおもえる。

そこでサリヴァンがこの本で披瀝している重要な概念は二つに要約されるとおもう。

 

ひとつは乳幼児期の母親(役)の乳幼児にたいする対人関係としての意義と振舞いを、赤ん坊部屋や子供部屋の内部の関係から家族外へ、戸外へ、そして生きいきとした社会関係へと解き放ったことだ。

 

生きいきと動く乳幼児と、潜在化された過程で精神障害の要因にまでつながっていく母親(役)の像。もうひとつはフロイトでは乳幼児のリビドーの編成につながっている関係と見做される母親(役)との原初的な関係を、対人関係・親友の登場、二人組をつくる関係などに分割することで、青春期と晩年期をふたつの頂点とする精神障害の在り方のすべてと連結するような理念におきなおしていることだ。

【この書評が収録されている書籍】
『言葉の沃野へ―書評集成〈下〉海外篇 』(中央公論社)著者:吉本 隆明