人生の幕が下りるときがついに来たのか――。昨年の2月、がん再発がわかったときそう覚悟しました。いよいよ逃れられないなと。
ぼくは4年前、陽子線治療というがんを切らずに治す新たな治療法を選んで克服しました。しかし、今回は……医師から「年単位でなく、月単位で人生を考えてください」と言われるほど切迫した状態でした。
僕は26歳と53歳の時に心筋梗塞で闘病しています。前回のがんも含めて、これまでの闘病は生きることが前提だった。しかし、次は生きて帰れないかもしれない。葬儀の準備をして自分の戒名も考えました。ぼくは決して、絶望していたわけではないんです。枯れかけたアサガオであれ、瀕死の鳥であれ、生きとし生けるものは命ある限り生きようとする。それが本能です。自ら死のうとするのは、天の理に反している。がんが再発したけれど、残りの人生を納得いくまで生きようと抗癌剤治療をはじめました。…… がんを小さくしてから陽子線で残ったがんを叩き、生還を果たすことができた。ぼくだけではなく、医師たちも本当に驚いていましたね。
ただ抗癌剤治療は想像以上に辛かった。…… 死んでもいいとまで思うほど辛かった。では、自分自身を元気づけてエネルギーを燃やし、生きている実感を得るためには何ができるか。
そう、ぼくには小説を書くしかなかった。…… 力尽きて途中で倒れても悔いのないような描き方をしよう。途中で死んでしまうかもしれないけど、それはそれで面白いじゃないかと(笑)。そもそも最初のがんのとき、心臓の持病で長時間の手術に耐えられなかったので、ぼくは手術を勧める医師たちに逆らってインターネットで見つけた陽子線治療に賭けた。自分の意志で決断する――。ぼくは幼いころからそうやって生きてきた。いや、自分で決断してきたからこそ、いままで生き延びることができた。
終戦時、6歳だったぼくは満州から引き揚げでいつ死んでもおかしくないような経験をしました。…… 爆弾が落ちてきたとき、悩んで思考停止していたら、必ず死んでしまう。ただ逃げても生き残れるとは限らない。戦場では何が起こるかわからない。死は偶然なんです。
それは日常でも同じ、考えれば必ず答えが出るというものでもない。人生はそれほど単純でも明快でもないからだ。しかし、考えを集中し持続することによって、単純明快でない世の中を突き抜けていくような、あるべき答えに到達することができるものと信じている。それを「直覚」とぼくは呼んでいるが、その直覚こそが人間に最善の方法を教え、決断し行動に移す勇気を与えてくれる。ぼくは困ったことがあっても悩まない。悩まずに考える。それこそが自分の意志で生きるということの意味だと思う。
壮絶な人生を生き抜かれている姿に感銘を受けました。
そして、思うこと。
選択肢が多すぎると、自分でコントロールできない。
だからこそ、なかにし礼さんがおっしゃるところの「直覚」が大切だと。
困ったことがあっても、悩まない。
悩まずに考えることで、道は開けるのですね。
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