余命半年 未来のために
~南相馬で産婦人科医40年~
……南相馬で産科医を続けて約40年。
取り上げた子は数え切れない。……
充実した医師の晩年期、あの震災が襲った。……
原発事故は知っていたが、「俺がいなくなったら誰が診察するんだ」と医療を続けた。……
旧知の医師からは「早く逃げろ」と説得された。
でも逃げることはできなかった。……
約20人いた医院のスタッフは5人に減ったが、街に残る高齢者の診察や、どうしても地元でという妊婦の出産を受け入れ続けた。
原発事故から2か月。
少しだけ街が落ちついてきた5月下旬、体に異変を感じた。
……直腸がんが悪化し肺に転移していた。
余命半年だった。
……高橋さんは決めていた。
「やるだけやって死ぬなら後悔はない」
残された時間は少ない。
妊婦を放射能から守ろうと放射線量を測る「フィルムバッジ」を配り、妊婦の家で線量を測った。……
高橋さんは願う。
「原発が変えたこの街で、できることを続けたい。
母と子の笑顔があふれるようにしたいんだ」
心打たれるお話です。
誰でもできることではありません。
いざという時、それまでの生き方がものをいうのだと思います。
肺がんの義母は、余命3ヶ月と言われてから、2年も生きました。
高橋さんもそうあってほしいと、切に祈ります。
母と子の笑顔があふれるような街になるまで、ご活躍いただきたいです。
るんるん♪語録/10月13日
もしも 余命半年だとしたら
自分は何をするだろう。
時にそう考えることは、有益かもしれない。
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