昨日の朝、とある旅の投稿を読んだ。

楽しい出来事を書いている投稿なのだけど、そこで”明るく無視された子どもの気持ち“を感じて、ずーっと小さく鳴ってる音のように、1日ふと思い出したりして、感じた。

どうも、#ふとたまたま マガジンです。

そのご家庭か実際にどんなかはわかりませんが(色々あると別投稿では読んだことがある)、子どもって親のことがどんなだっても大好きだし、中学生までは経済的にも精神的にも保護者が居ないと生きていけない環境だ。

だから子どもは、明るく、時に真顔で、いいよって親と一緒のを選ぶんだけど、嫌な気持ちは胸にあるって、シーンはみんな体験したことがあるのではないかと思う。
またこれは、親子間だけでなく、パートナーシップへや対人関係へもつながっていくことだ。

ねえ、何したい?こういうのはどう思う?とか、だいじょうぶ?と、何才だってしっかり意志確認するのが、私は大事だと思っている。

ただ人の気持ちを気にすることが、性質的に難しい人もいて、それが親である場合、悪気もなく、明るく自分の行動に子どもを添わせる。
楽しいよ、おいしいよ、などと明るく誘って、子があまり気が乗ってないとか関係なく、これまでの時間の流れを中断して、でかけたり、食べさせたりする。
いやだとか、今はいい、と言いにくい子もいるだろう。
仕方ないなあ、と子の方が空気読んで、出かけてあげたり、食べてあげたりするシーンもある。
いやだ、今はこれやってるから、と言っても通じない親もいる。

まあ別にそんな小さなことが、どのくらい深刻なのか、それは本人にしかわからない。

気にしなくて良い場合がほとんどだけど、そういう小さな気持ちがかき消されるのを見かけるたびに、小さく鳴っている音みたいに、ずっと気になってしまう。

見かけたら、心の中でエールを送る。
我が家で起これば、すかさず間に入る。

圧や強引さをもろともせず、明るくスルーしたり、明るくいやだと交わしていく、のびのびした子どもたちを応援します。

しくしく嫌になった時に、ボタン押したら私と繋がって、慰めたり、がんばったねと励ましたり、応援できたらいいのにと思う。

その受信機になりたいし、

実は見えないハイアーなみなさまは、そういう存在としていつも居てくれてるのかもですね✨