昨日、とある方とやりとりさせていただく中で、
気になったので、ちょっと祓い清めさせてください、
とお伝えしました。
ちょうど、旧友からもちょっと祓ってほしい、と言われていたので、
テルミーの方も含めて、祈りの夜として執り行いました。
(Tell me your storyという対話のセッションを受けてくださった方は
実は祓い清めてます全員こっそり)
白作務衣を着て、お名前を書き、
お香を炊いて、蝋燭を灯して、電気を消し、
手を合わせて、対峙します。
今日のお三方の説明をするその前に、
そういえば、地震が、下の子が、レギンスが、お話会が、と
感謝ばっかり出てきて、
最初は自分のことから土地のことまでひたすら感謝タイムでした。
そして、今日祓い清めたいことをお伝えし、始まります。
この時の感触で、何を奏上するか、決めています。
いつもの、私のルーツの祈りと天津祝詞は固定ですが、
今回は、久しぶりに「清浄の太祓」、そして「観音経(世尊偈)が入りました。
そういうことか、、、と読み上げながら、納得します。
清浄の太祓は、お守りのような、バリアを教えてくれる、
自己愛強化の祝詞だと思っています。
原文はこちら
六根清浄大祓
(私が読んでいるものとは少し違うところがあります)
出だしから「人は天下の神物である」、
さらに後半にも「(五臓の神君安寧なるが故に天地の神と同根なり」と、
人は神物である、神と同じであり(内在神とも言える)、
万物の霊とも胴体であると言っています。
「吾がたましいを傷ましむることなかれ」と。
心は、神の社である。
その心であり、神であるたましいを、傷つけないで、と。
バリアやバウンダリー、
境界線を引く、
自分軸をしっかり持つ、
人は人、
気にしない、
これらのような主体的かつ自発的な、
たましいの”在り方”を説いています。
人から、自然から、会社から、出来事から、所謂”外圧”は、
日々小さなことから大きなことまで、起こるときは起こる。
それがどんなことであろうとも、自分がどう在るか、であると。
六根とは、目、耳、花、口、身、意(こころ)です。
六根が不浄にさらされても、清く潔くあれ、と言っています。
目に諸々の不浄を見て、心に諸々の不浄を見ず。
目で嫌なことを見ても、心までは影響されない。
耳で嫌なことを聞いても、心までは響かない。
口でひどいことを言っても、心までは変わらない。
身体が嫌な体験をしても、心は守る。
意(こころ)=ひどいことを意図してしまっても、
ハートのコアでは、不浄だとわかっている。
途中で気付いたり、思い直して、心を強く持ってほしい。
清く潔ければ仮りにも穢るること無し
外部からの影響で、神の社である「心」が穢れることはない。
そうして五臓を安らかに過ごしていると、
私たちは天地の神や万物の霊と胴体となり、うまく行きます。
という、祝詞です。
人により、さまざまなご状況にいらっしゃり、
こんなこと(人)なんで?と、
愛を持っていれば理解不能な現実と対峙してらっしゃる方もいるでしょう。
また人により、家族間や人との関係性の中でちょっとしたことにより、
気分がしずみ、連動して体も調子悪くなる、という人もいるでしょう。
今調子いいです、という人もいます。
大事なのは、日々清く潔くいること。
予防医療のようなことです。
だめだなーと感じながら、ずるずると解決や対処を先延ばしにしていると、
悪化してしまうこともあります。
一度悪化すると、長期戦で大変なこともある。
なので、早め早めの某パブロンのように、早め早めに、清く潔いのがいいです!
いつも応援しています。
これは以前みなさんから素晴らしい景色の画像をいただいて、読み上げた動画です。
ぜひ、聴いてみてください。
