知って得するコーナー・・・かどうかは別として、医学の歴史、知っておいて損にはならんぞ❗

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

日本の帝王切開は、いつ、どこで、どのようにして行われたのでしょうか。

 

時は、今から約166年前の江戸時代後期、嘉永5年6月25日(新暦1852年6月12日)、正午。黒船が浦賀沖に来航するちょうど一年前の頃のことです。

 

秩父郡我野正丸(現飯能市)の本橋(もとはし)家において、日本初となる帝王切開術が今まさに始まろうとしている現場に、時計の針を巻き戻してみましょう。

 

登場人物は、産婦の本橋ミト(み登、33歳)と夫の本橋常七(39歳)、取上婆のトヨ (65歳)、岡部均平医師(37歳)、岡部均平医師の叔父・伊古田純道医師(50歳)とその長男伊古田弘道(29歳)ほかです。

 

旧暦嘉永5年4月23日(新暦1852年6月10日)の朝のことでした。取上婆のトヨは、早朝4時と8時に2つのお産の介助をこなし、自宅の居間で寛(くつろ)いでいました。梅雨の日差しは思いのほか強く、庭先では数羽の雀が賑やかにさえずっています。

 

 

「そういえば昨日はかなり低空を飛ぶ二羽の燕も見た。観天望気なら今日は雨が降る日だったのに。」とトヨは考えていました。もうすぐ暑い夏がくる、仕事を終えた後のお茶がおいしい…そんなことを思いながらそろそろ昼餉(ひるげ)の用意をしようと立ちかけたそのとき、「嫁のミトが産気づいたので来てくれ!」と本橋ミトの夫、本橋常七がトヨの家に駆け込んできました。

 

トヨは今日3つ目の分娩のため、愛用しているお産用具を急いで風呂敷にまとめると、「やれやれ、休む間もないのう」と呟きながら着物の裾を翻(ひるがえ)し、常七に手を引かれるようにして急いで本橋家に向かい、到着したのはそれほど時間もかからず午前十時過ぎでした。

 

本橋家は豪農で所有する田畑も多く、苗字帯刀も許されている村方地主でした。白壁の土蔵がまぶしい大きな屋敷であり玄関先には式台もありました。トヨは常七から台所を借りると、丁寧に手を洗い、診察の準備を整えると、ゆっくりと階段上がりました。二階の産部屋で天井から吊るした縄につかまり産椅子で苦しんでいるミトに軽く一声かけ内診を始めました。

 

ミオ・ファティリティ・クリニック WEBサイト

http://www.mfc.or.jp

ミオ・ファティリティ・クリニックフェイスブックページ

https://www.facebook.com/miofertilityclinic/?fref=ts