伊古田の挑戦

 

飛脚から均平の手紙を受け取った伊古田は、トヨと均平が行った2日間の全ての処置を手紙で読み取り、「経験豊富な2人が丸2日がかりで頑張っても胎児は出ないのか……。これはかなり大変だ。子宮内の胎児はおそらく頭位や骨盤位ではなく横位に違いない。体位的にも穿頭術(せんとうじゅつ)は無理かもしれない。このままだと母体も心配だ」と嘆息しました。

 

撒羅満(さろもん)氏産論抄書

そのとき、伊古田はふと難産の際にお腹を切って胎児を取り出す子宮截開(せっかい)術が書いてあるオランダの医学書の訳本『撒羅満(さろもん)氏産論抄書』を思い出しました。この書は、産科学者サロモン著『産科の指針』を矢田部卿雲(けいうん)(1819-1857)が翻訳した、日本初の帝王切開手術について記述された書物でした。

 

 

手紙を受け取った伊古田は急いで戸棚の中から『撒羅満氏産論抄書』の写本を探し出し、一刻の間、集中して帝王切開手術の方法が記載してある部分を数回繰り返して読みました。

 

頭の中に帝王切開手術を描けるようになるまで読んだ伊古田はゆっくりと写本を閉じ静かに目を瞑りました。

「現場に着いたら、まずはお腹の中の胎児を動かし、少しでも胎児の位置が変われば穿頭術を施してみよう。それでもだめなら最後の手段を選択するしかない。この本に書かれてあるようにお腹を切って胎児を取り出すことにしよう

」と考えたものの、心の中ではうまくいってほしい自分もいることに気がついていました。

 

身支度を整えると、抄書と診察用具一式を脇に抱え、待たせてあった馬に乗り、本橋家に向かいました。馬上の伊古田は薄暗い夕方の夜空を見上げました。

 

ミトの待つ本橋家までは峠をいくつも越えなければならなりませんでした。

 

 

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