日本の手術名の遍歴

日本で最初に帝王切開手術の方法が紹介されたのは、1805年に医師の伏屋素狄)(ふせやそてき)(1748-1812年)によって書かれた「和蘭医話」であると言われています。このときの表記は「ケイズルレーキ・スネー」というカタカナ表記とオランダ語「keizerlijke snee」の両方の記されています。

 

その後、手術名は妊婦の体を切って生むという意味の「剖産術」、「シーザル割裁法」、「国帝切開術(明治時代初期)」と様々に変貌し、最終的に「帝王切開」が使用され、1900年(明治33年)以降は「帝王切開術」が多く使われるようになり定着しました。

 

最初の帝王切開はいつごろ?

死亡した母体から胎児を取り出すという風習は古くから多くの地域に存在しました。古くはギリシャ神話で、アポローンが恋人コローニスの不貞を知り彼女を殺し、死体から胎児のアスクレーピオスを取り出して育てたとされています。成長したアスクレーピオスはその後名医になり、彼の死亡後は「医者の神」となっています。

 

王政ローマ時代以来、古代エジプト、ギリシャ、インド、アフリカでも切開による分娩が行われていた形跡が残っています。記録上最も古い帝王切開手術は1500年(16世紀)で、スイスの「豚の卵巣摘出業者」によるものです。難航した妻の出産の際、八方手を尽くしたが生まれなかったため、許可を得て帝王切開を行い成功しました。

 

その後、双児をはじめとする4人の子どもを得たと記録されているのが最初です(真偽のほどは明らかではありません)。

1540年にイタリアで行われた記録も子どもは死亡したものの、母親はその後、4人の子どもを自然分娩で生んだといわれます。1571~1572年にかけて、フランスを旅行した人が、ツールズで2人の女性の帝王切開を見たと記録しています。1610年には、ドイツの外科医が行った詳細な手術の記録が残されています。その母親は25日間生存した後死亡しています。これらの記述の全ては伝聞や代筆が多く、記述そのものの正確さについては明確ではありません。

 

 

ミオ・ファティリティ・クリニック WEBサイト

http://www.mfc.or.jp

ミオ・ファティリティ・クリニックフェイスブックページ

https://www.facebook.com/miofertilityclinic/?fref=ts