急速遂娩

日本で5人に1人が選択するほどポピュラーになった帝王切開手術の歴史(初めての実施、語源について)は、実はそれほどはっきり知られているわけではありません。しかしその歴史を繙(ひもと)くことは、帝王切開手術の持つ本来の意味を知ることのみならず、さらに顧みて、分娩そのものの安全性についても再考する機会になります。それは今の時代を生きる女性にとっても、我われ分娩に携わる者にとっても実に意義深いことなのかもしれません。

 

帝王切開手術とは母体や胎児に何らかの危険が迫り、通常の分娩が難しいと判断された時に、母子を同時に助けるために一刻を争って妊婦のお腹と子宮を切開し、胎児を直接取り出す出産方法であり、母体と胎児を両方とも助ける急速遂娩の方法の一つです。

 

カイザー・シュニット

帝王切開という名前の由来については古くから多くの研究がなされ、諸説が報告されています。ドイツ語では帝王切開のことを

カイザー・シュニット」(Kaiser schnitt) といいます。

カイザーとは「分離する」あるいは、「帝王・皇帝」という意味があり、シュニットは「切開する」という意味を持っています。従って本来カイザー・シュニットとは、「母子分離・切開手術」と訳されるべきところを、分離という意味よりも「帝王・皇帝」という言葉が強調され「帝王切開手術」と訳されたという説が一般的です。

 

この説とは別に紀元前三世紀の古代エジプト古文書には、ラテン語で帝王切開を意味する「sectio caesarea」という言葉が記されていますが、ラテン語からドイツ語に訳される時、〝caesarea〟には切り刻むという意味があるにも関わらず、古代ローマの皇帝〝カエサル(シーザー) 〟と翻訳されたので、ドイツ語のKaiser schnittそのものが間違っているという説もあります。

 

魅力的な言葉、「帝王」のための手術

カイザーのもう一つの意味である「帝王・皇帝」という魅力的な言葉は、多くの国で翻訳され、広まりました。

ローマの皇帝、ジュリアス・シーザー(英語:Julius Caesar、ラテン語:Gaius Lulius Caesar)が帝王切開で生まれたという想像豊かな逸話はロマンティックで多くの国で受け入れられ、ラテン語では「sectio caesarea」、英語では「caesarean section」として生き続け、シーザーのラテン語名「Gaius Iulius Caesar」と同時に生き続けたため、日本ではこの「帝王切開」がスムーズに定着したのです。

 

しかし、シーザーが生まれたとされる紀元前100年頃の医療技術を考えると、シーザーが母親と胎児を同時に助けることのできる帝王切開手術で生まれた可能性はほとんどありません。古代ローマ時代には「遺児法(Lex Caesarea)」と言われる有名な法律が存在しました。この法律は分娩時に妊婦が死亡した場合は母の子宮からすでに亡くなっている胎児を取り出し、亡くなった母と子供へ十分にお祈りした後、二人を同時に埋葬することが義務づけられていました。「切り取られた者」の意味で遺児を「caeso」や「Caesar」と呼んだことに由来します。また、当時は分家(本家から切り取られた)という意味でもCaesarという単語を使用していました。

 

またシーザーの母親は祖先に幾人もの執政官を輩出した名家のルキウス・アウレリウス・コッタの娘アウレリア・コッタといい、彼女は長生きで54歳まで生きていたと言われています。またシーザーが出征したガリア戦争の遠征の途中で、シーザーは彼の母親に手紙を送っていることからも、母親の死後に母の子宮から帝王切開を行ってシーザーが生まれたという話はその言葉だけが独り歩きしたものであると思われます。

 

ジュリアス・シーザー(英語:Julius Caesar、紀元前100年 - 紀元前44年3月15日)ラテン語ではガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar)

 

 

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