「かぐや姫」のブログを拝見していて、興味深いブログを見つけたので、ちょっと考えたことを。
上記の方は
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一言で言うと
愛こそすべてという一貫性を感じます
(中略)
今日のイベント的な事、時代の流れでいくと
愛より
家族の絆を重視する方向に行くのが妥当だと思うのですが
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とおっしゃっている。
ちなみに、現代舞踊評論乗越たかおの記事にも以下のようにあります。
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フロイト以降、我々は、恋愛感情や性衝動に重きを置きすぎたのかもしれない。
「全てのハリウッド映画は恋愛映画だ」という言葉があるが、オペラもバレエもたいがいそうだ。
これからのアートは、恋愛の呪縛から解放するための作品が増えてくるかもしれない。
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この記事はもう2年も前なのか!!
というのはさておき。
さらに飛びますと、靖国神社です。
私事ですが、この春から大学院に進学し?戻り?再び歴史学をやっております。授業の一環で「書を捨て町に出でよ!」(寺山修司の言葉ですよね)というフィールドワーク(=巡検、実習、歩いて学ぶ○○シリーズ)がありまして、第一回目はイスラーム史(トルコ)の先生が靖国神社で解説してくださったのです。
靖国神社は右、という話ではなく、島田裕巳の「靖国神社」を読んでフラットに靖国神社を見てみよう(フラット前提なのに幻冬舎から出ているこの本笑)という狙いなのですが、先生のお話を要約すると、「全部あかん」という話でした。
そのお話の一部に、現在も増え続ける靖国神社内の銅像がありました。最新のものは老母、妻、弟?親戚のおじさん?が見送る銅像です。私も現在進行形で成長する神社だとは知らずへえ~という感じでした。また、神社内にある遊就館の展示についても、家族からの手紙、家族への手紙が展示の大部分を占めていました。先生曰く「天皇も参拝に来ない現代ではどうやって神社に興味を持ってもらうか、というところを工夫している。一昔前は国のためという大義名分を持った若者に共感してもらうことだったが、現代の若者にそれは通じない上に世論的にもよくない。そこでいうと、家族のためという身近な話題にすると共感してもらえる。けれども今は自由な形の家族像を目指して運動している人が多い。「老母や妻が主人の帰りを待つ」という型にハマった家族像を増やしていかがなものか」(学部生向けに「批判的に」を意識しているので話が裏返しに裏返すから結局どれもあかんという結論に至ります)というお話があって、大変興味深くなるほどと思いました。
さて冒頭に戻ると1つ目のブログの方がおっしゃっている「家族の絆が流行の現代」。思い切り靖国神社の最新の銅像ではないですか!ディズニーまで家族を推しているとはなんぞやという感じですが。
2年前の乗越たかおの記事、「恋愛感情や性衝動に重きを置きすぎた芸術は古いのでは」。うん、全く同じ事をおっしゃっていますね。
まあ、つまりはオペラバレエは愛しか歌わないから古典なんです。逆に現代作品で男女の愛を歌ったものを持ってくるならば古典化を狙っているのか?!
でも、家族がテーマって、男女一対の古めかしい家族像で良いのかという先生の話が気になるので、家族をテーマに、というディズニーやブログの方がどうしてそうなのか大変気になりました。
男女愛は確かにいい加減にしろとは思うけど家族もちょっとな・・・