排外主義に巻き込まれる前に・・・国家と私の距離 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 最近、「前提」がどんどんせり上がっているような気がします。米中の貿易戦争、日韓の貿易戦争、北朝鮮の有事情勢等々・・・一触即発の状況が今の「大前提」・・・みたいな。

 

 このような情勢において、韓国政府からのGSOMIAの破棄通告・・・(8/22)。

 

 新聞の見出しも「日米反応を読み違えた韓国 GSOMIA破棄、同盟暗雲」とか「『あり得ない』日韓対立は決定的 東アジア安保にも影」「対立泥沼化、韓国人客が激減、観光地『いつまで続く』」等々・・・。

 

「日本」や「韓国、そして「米国」「中国」が、主語として記事を賑わし、私、私たちと「日本」、つまり、各国の国民と国家の距離がどんどん縮められて「統合」しようという圧迫を感じます。

 

 いや、だって、韓国が一方的にやばいことするから!・・・みたいな反応が「常識的」になってきているのでしょうか。

 

 

 GSOMIA(日韓秘密軍事情報保護協定)だって、政府間が軍事の目的で締結するものであり、それぞれの国の国民の反対を押し切り、2016年に締結された非平和的な「軍事同盟」のためのものです。そんなもの破棄でいいんじゃないの?それって「反日」な意見?

 

 

 『愛国の教科書』(将基面貴巳)という本(注 「愛国」ということに鋭く批判的な著書です。)で、エルネスト・ルナン「国民とは何か」という講演で「忘却すること、あるいは歴史に関して誤解することと言ってもいいと思いますが、そうしたことがネイション(国民)を創造する本質的因子なのです。だから、歴史学の進歩は往々にして国民性にとって危険です」という部分が引用されています。

 

「忘却すること、あるいは歴史に関して誤解すること」・・・。

 

 私たちは、すごく忘れっぽいし(忘れっぽくされているし)、歴史についても、いわゆる国史(=国民としてのアイデンティティを形成することを目的として著されたもので目的に照らして不都合な事柄は扱わない)、つまりフェイクニュースのような「思い込みで形成された」(その意味で誤解を孕んだ)ものしか見ようとしていないのでは、と思います。

 

 もちろん、それは意図的にそのような状態に私たちを巻き込む「歴史修正主義」による誘導が大きいでしょう。だからこそ「忘却や誤解」が「ネイション(国民)」の形成に資するということの意味は、今こそ重要であり自覚的であるべきだと思います。

 

 関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺の歴史、強制連行された朝鮮人労働者(いわゆる徴用工も含む)の歴史、そして、1965年当時の日韓のそれぞれの歴史・・。

 

 これらについては、政府も正面から史実を認めないスタンスを取ってきており、今日も取り続けています・・・目的は、ネイション(国民)としての統合を目的としているのでしょうね。

 

 「こんな侮辱されて放置しておくのか?貴様それでも日本人か?韓国を攻めるしかない!」・・・なんていう「排外主義」の扇動が、そのままではなくとも、じわじわと新しい形で迫ってきています。

 

 「愛国心が問われるのは、国がうまくいっていないとき(『愛国の教科書』)と指摘されていますが、まさに、その通り。結局、21世紀、資本主義は行き詰まり世界中、国民の生活は概ね破綻に向かい、不満と怒りが噴出してどこも「内政」はうまくいっていません。

 

 もちろん「愛国心」とは案外、抗いがたいもの、です。だからこそ、権力はそこにつけ込み私たちを「愛国心」で「回収」して国家「動員」することを目論みます、そう国がうまくいっていない今こそ。

 

 私は国家ではない。私は日本ではない。このことを強く自覚すべき時だと思います。