別の本を探していたら、たまたま父が線を引きながら読んでいた『きけわだつみのこえ』を久々に手に取ることになりました。
何度読んでも涙が出てくる・・・悲しみと、ふつふつとした怒りに近い感情が湧きます。
父は、どういう気持ちで読んでいたのだろう?と思います。ほぼ同世代の友人のような感覚でしょうか。横浜事件の木村亨さんとも、そのような同世代の感覚があったと思います。
戦前から社会主義の活動家として中国に渡って、日本での軍務強制を免れた父にとって、同世代の「死ぬべきではなかった仲間たち」への想いはどんなものだったか・・・と考えます。
20代で、死を目前にした当時の等身大の若者たち、生きて、恋をして、音楽を聴いて、本を読んで、議論したかったと思います。
お手紙ありがとう。
しかし、君もずいぶん罪なことを書くぜ。
5月の名古屋の郊外のmarried lifeが南支の空のつきぬけるような青さの下で、肉体的度労働オンリイに終始するプアーバチェラーにとってどんなに羨ましさを感ぜしめることか、むしろそれは羨ましさを通りこしてねたましさでいっぱいである。
部隊本部でレコード・コンサートがあるというので日が暮れてからも一度軍装して聞きに行った。人がいっぱいだったので夜霧の降りた芝草の上に座って聞いた。・・・果てはリストのハンガリア狂詩曲まで飛び出して久しぶりの内地の声に兵隊は、皆、ただぼんやり口をあけて夢中だったが一番僕の心をうったのは何というか10歳くらいの女の子の童謡だった。・・・僕らの心が内地の清純な女らしい感情に渇き切っていることだけは確かである。
渇き切っているといえば僕らの心がどんなに読書と知識に飢え切っているかご想像つくまい。かわいた海綿より、もっとみじめな状態である。
・・・いつの日か、紅茶でも飲みながら大兄とともに夜を徹して議論する日を持つことができたならそれはどんな喜びだろう。
近藤考三郎(昭和10年3月名古屋高商卒。昭和17年1月19日マレー半島で戦死)
瑞々しい感覚、すぐそこにこの若者がいる現実性を感じます。
今生きている私(たち)は、しっかりと生き切らなければ、と改めて感じます。彼らは、もっと生きたかったはずだし、音楽を、本を、議論を、恋愛を享受したかったでしょう。その分を生きている限り全うする責任を感じます。彼らに、生き切ることを強く求められていると感じます。