9条改憲とは、政府の求める武装解除だ。 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 もちろん、憲法なんてどうでもいいじゃん?そういう時代もありました。憲法なんて空気みたい、意識しない、いわゆる「高度成長期」(まあ、安保はともかく)。

 

 ・・・では、今は何故、改憲なんだろう?安倍政権はなんでそんなに改憲必死なの?何か気にくわない事情があるのでは?

 

 憲法にしても法律にしても暴力の裏付けがあってのもの。つまり合法的な暴力を裏付けがあってこそ法の力。まあ「合法」といっても法律を作るのは権力側であって、なんとなく私たちに関与させた風(選挙だとか)にしてますが(それを「議会制民主主義」と言ったりしますが)、合法/違法の線引きはつまりは権力側の都合で決められちゃいます。現体制においては、基本、合法的な暴力は権力が独占してしまっており、私たちはいわば「武装解除」されて、少しでも集まって異を唱えようとすると違法!犯罪!と規定されがちです。

 

 そんな中で、日本の権力にとって目の上のタンコブなのが憲法9条の戦争放棄でしょう。

 

 憲法9条の「戦争放棄」とは、私たちが戦争を放棄している、というよりも、私たちが・日本政府に・戦争放棄を・強制している、という点に本質があると思います。

 

 だからいやなんでしょうねえ。日本の支配層は、この歪つな資本主義の最末期、ぐらぐら。資本間の国際競争にも破れ、アジアという限定的な地域においてもなんらの覇権を握れない没落ぶり。焦っているのでしょう。だから、資本主義国家として当然に武装=軍隊くらい欲しい。我ら資本に自由を!どうか武装解除を!

 

 つまり、暴力で恫喝して覇権を握る「普通の国」になりたい、そうしないとやばいんで、ということなのでしょう。

 

 けど、今、やばいのは資本と権力。私たちの生活は、とっくにやばくって21世紀に入っても経済的な格差・階級・身分は拡がる一方。賃金ダダ下がりの現実。それは資本が究極まで地球の富を独占(競争)しようとして、私たちにシェアするつもりはないからでしょう。

 

 で、資本間での競争で負けが込んで焦って、焦って、仲間を贔屓し、庇う為の不正、改ざん、隠蔽、腐敗のオンパレードが露呈・・・。これが「2018年の安倍政権」を示すキーワード。・・・この彼らの使い勝手のために9条を改憲して、彼らの都合で軍隊を使用できるなんてたまったもんじゃないですよね。

 

 信用できないですからね、全く。「ないものはある、あるものはある。」不都合なものは隠しちゃうのが我が政府。

 

 ・・・ということで、奴らがどうしても改憲したいからこそ、改憲に反対です、はい。