弁護士をしていると、どうしても依頼者に「法律でこうなっています」というような説明をしなければならない局面がままあります。そういう時、依頼者としては「なんで?!法律って本当融通がきかないですね!」とあたかも「法律家」である弁護士も、その法律の責任を持っているかのように責める文脈で問い詰められることもあります。
・ ・・しかし。そもそも法律って誰が作ったものでしょ?
建前上は、こうなります。国会で作ります→その国会のメンバーは国会議員です→その国会議員は選挙で選ばれます→選挙で選ぶのは国民のみなさんです→つまり、みなさんとはアナタであり、私です・・・以上、法律はアナタの自己責任。
ということで、法律の製造責任は「議会制民主主義」の建前の中では、あなた(依頼者)であり、私(弁護士)、両方です、「ちなみに私は反対したんですけどね」みたいなことになります。
だから自業自得なんですよ、とはいいませんが、少なくとも法律家(だけ)に法律存在の責任が一身にかぶさる、ということはありません。
むしろ、法律家としての感覚(少なくとも私の感覚)は、法律とは「ゲームのルールであって知らないよりは知っていた方がいい」という相対化したものになります。そう仕組みを知れば知るほど。
そのうえで、おかしい法律は変えるべきだろう、作るべきではないだろう、ということであり、そのためには共謀罪法とか安保法とか、「主権者」として反対のアピール・アプローチを試みます。共謀罪法なんて三度廃案に追い込みました(!)。やる意義はもちろんあります。
おかしい法律、間違った法律、たくさんあります。実存としての法律は、支配者にとって都合のいいルールであり、民主主義の建前にのって権力者が作り、私たちを押さえつけるための道具だと思います。違いますかね?
もし、民主主義、というのなら自分の気にくわない法律は変えましょう。皆さん(国民)へのメッセージとしては、こうなります。暇がなくて、立場(仕事、会社、家庭等)があって、誰かにやってほしいなら、仕方ないです、諦めて他人任せ(国会議員)にしてください。法律は最終的に国家暴力の発動も許しますので、逮捕されたり監禁(勾留)されたりしますから、くれぐれも気をつけて。
それでも抵抗したいなら・・・。「合法」的な国家暴力とどう対峙するか考えましょう。ヒント・・・数なら国民の勝ち(!)です。頑張りましょう!それが法律の製造責任の責任の取り方。これって扇動かなあ。