テレビをスイッチを入れると、ネタの尽きたバラエティ番組。うんざりしてニュースにチャンネルを変えると「抱きしめていい?」「胸を触らせて」って・・・。本当に財務相事務次官では「ない」のか・・・なんで辞めちゃったんだろ?。
これがオトナの社会・・・私たちが作り上げた民主主義の今、ということだと思うと、子どもに見せた方がいいのか?なんて迷いますね。
その上、「国会空転・・・立憲民主党など野党6党は20日、麻生太郎財務相の辞任などの要求に与党が応じなかったとして、国会審議を全面的に欠席した。今後も要求に応じなければ審議拒否を続ける方針。与党が23日の開催を目指していた衆参両院の予算委員会も開けない状況になり、国会が正常化する見通しは立っていない。(朝日4/21)」とのこと。
隠蔽、改ざん、国会は空転し、官僚は堕落し、首相や大臣は居座る・・・。舐められてますねえ、私たち「主権者」は。
国会なんて、ただの「おしゃべり小屋」で、「真の『国家』活動は舞台裏で行われ、各省や官房や参謀本部が遂行している。議会では、『庶民』を欺こうという特別の目的でおしゃべりしているにすぎない」(『国家と革命』レーニン)と指摘されてますが、今や「おしゃべり」すら潰えちゃってます。
パリコミューン(1971年)では、国家官僚制度をなくして、労働者並みの賃金で、「いつでも」解任できる公務員に変えちゃおう、ということが試みられたわけですが、今の「政治」を見ていると、国会も官僚も有害無益な存在なのだなと改めて思います。
「支配階級のどの成員が、議会で、人民を抑圧し、ふみにじるかを数年に一度きめること、−議会主義的立憲君主制ばかりでなく、もっとも民主的な共和制の場合にも、ブルジョア議会制度の本質はまさにここにある」(前同書)と、当然のこととしてレーニンが指摘していますが、まさに、今の権力と私たちの関係を見れば、その通り!と合点がいくでしょう。
「政府がなんらかの形の人民投票によって権力につき、-その投票が欺瞞的なものであろうとなかろうと-少なくとも表面上は、合憲性を保持している場合には、ゲリラ活動を開始することはできない。なぜなら平和的闘争の可能性がまだ完全にはなくなっていないからである。」(『ゲリラ戦争』チェ・ゲバラ)ゲバラの言葉ですが、そろそろ限界では?