本当にきな臭い時代です。年明けから朝鮮半島は戦争情勢が切迫し、米トランプ政権は、「戦争計画はある」(マティス国防長官1/18)と述べた上、「核戦略の見直し」(NPR)では「通常兵器で攻撃を受けた場合も核で反撃することを検討する」とまで草案に用意していることが暴露されました。
安倍首相は施政方針演説(1/22)において「北朝鮮による挑発がエスカレートする中にあって、あらゆる事態に備え、強固な日米同盟の下、具体的行動を取っていく。」と戦争意思をむき出しにしてます。
そして、改憲につき「いよいよ実現する時を迎えている」(1/22)と自民党両院総会で息巻く安倍首相の「自衛隊を明記する」という改憲案の狙いは、憲法9条2項の「戦力不保持と交戦権の否認」を転覆させる攻撃そのものでしょう。
戦争のための改憲であり、日本を「戦争放棄」から「戦争する国」へ変えてしまおうと焦っています。自民党は年内の国会発議を目指して本腰です。
・・・で、こんな時代、朝鮮戦争にアメリカが絡むの反対、とか、日本が絡むの反対とか、イラク反戦の時くらい盛り上がるかというとそうでもない。あの時のデモ参加者はどこに行ったんでしょう? あのリベラルってどこへ?
たしか、レーニンが日和見主義者は排外主義に陥る、みたいなこと言っていたと思うけど、確かにそうなのかも。
曖昧な戦争反対は、言えても、具体的な、目の前にある戦争反対は言えないものかも・・・。
・・・「戦前」化というのはそういうことなのでしょうか。私は、朝鮮戦争に日本の自衛隊が絡むことには反対ですし、米韓の軍事演習という名の挑発行為にも反対です。
排外主義的ナショナリズム・キャンペーンや北朝鮮脅威キャンペーンはわかりますが、それでも、戦争反対は戦争反対なのでは?と思います。
沈黙・スルー・「調子わりい」なんて感じで、とりあえず態度決定しない「リベラル」ってインチキなんだろうなあ、やっぱり。
ラディカルを自負する私は、戦争に進むもうとする自国政府を打倒しよう、それが反戦という立場です。
「リベラル」な人のナショナリズムとの腐れ縁にはあきれます。その曖昧にな感じが、天皇制を肯定し、自衛隊を肯定し、そして、結局は、戦争を肯定してしまうのでしょう。
寂しいな、と感じます。留保なしに戦争反対をいえない人たちを。まあ、それだけ、試される時代なのでしょう。もちろん、私も日々試されています。長い物には巻かれろ、という同調圧力がどんどん増してきていますから。「僕はいやだ」っと過呼吸にならずに言えるかしら・・・。