凄まじい勢いでテクノロジーが進化しています。AIとかビットコインとか。最近、中国の都市を訪れた誰に聞いても、中国では、皆、お金を使わず、スマホで決済だとか。経済の発展とともに、テクノロジーも暴走気味に発展しているようです。
アイフォンも「顔認証」・・・もはやスマホというよりは完全に超小型パソコンで、10年くらい前の時点でスマホは80年代の銀行の支店と同じくらいの処理能力がある、なんて話もあったように思いますが、昔思っていた未来社会にどんどん近づいていっている気もします。
でも、この「便利」は、「幸せ」につながっているのかな?
新聞(朝日1/11)によると中国では、銀行のATM、レストラン、ホテル、さらにはトイレまで「顔認証」で利用が出来る(/出来ない)とのこと。
また「湖北省武漢市の公安局は、監視カメラの映像で犯罪容疑者の顔を認識させ、5月末から3ヶ月足らずで39人を逮捕した」とのこと。
もちろん、監視される懸念の声も高まっていて、「『どこにいても監視される』」と、敬遠する声も多い」そう・・・そりゃそうですね。
「MEMS(マイクロ・エレクトロ・メカニカル・システム)技術の発達によって脳にナノマシーンが埋め込まれ、見聞した情報やそれによって生じた脳の反応がログとして残る時代になる。ウソをついても脳ログという証拠が残るため、浮気は犯罪などの隠しことは一切できない。この世界から逃れるために通信の圏外で暮らす人も増えるだろう」(『2035年の世界』)と高城剛さんは指摘しています。
「顔認証」の果てには「脳認証」?・・・そこまで行ったら本当の監視社会の完成でしょう、まさに、圏外だけがパラダイスでしょうが、地球上に圏外はなくなる可能性も高いでしょうね。
「人間は、自分が生まれた時にすでに存在したテクノロジーを、自然な世界の一部と感じる。15歳から15歳の間に発明されたテクノロジーは、新しくエキサイティングなものと感じられ、35歳以降になって発明されたテクノロジーは、自然に反するものと感じられる(ダグラス・アダムス)。」とのことですけど、さすがに、ついていけなくなりつつあります、私も。
ネオ・ラッダイト運動、という動きも一部あるようですけど、テクノロジーの発展が本当に止まるとはなかなか思えません。
「利用する」のか「利用される」のか。「便利」さには、強い誘惑と中毒性があると思います。ある年代以上は、スマホはもちろん、携帯電話、パソコン、さらにはワープロもなかった時代を知っています。というか、それを当然のこととして暮らしていましたが、今の子どもたちにとっては、今のインターネット環境が「自然」なのでしょう。
「監視社会化」、「AI支配化」の近未来は、『1984年』(ジョージオーウェル)のディストピアそのものですが、この感覚自体、「旧い」とされるのでしょうか・・・プライバシーという概念そのものが、変容していくのかもしれません・・・。う〜ん。